鍵を探してる
‐‐‐ 四
五十鈴を町まで送り届けると、案の定、彼女は一行を引き留めに掛かった。本音は、弥勒だけで良いのだろうが、そうもいかない。
彼女の父親・町の長も、娘、延いては町の運命を救ってくれた一行を、もてなしたいと申し出る。なかなか、人の良さそうな父親であったが、珍しく弥勒は遠慮の言葉を並べていた。
あまり、関わりたくはなかった。確かに、宿を探す手間が省ける上、良い待遇を受けるであろうことは間違いない。しかし。どこか様子のおかしい珊瑚を、五十鈴と一緒にしておくのが躊躇われた。
「でも、弥勒さま。珊瑚ちゃんの傷も手当てしたいし、ゆっくり寝かせてあげたいんだけど…。」
かごめも、あまり気は進まないのだが、珊瑚の体を優先させる。袈裟で隠れてはいるが、泥や血に塗れたその体を、早く洗わせてあげたい。傷だって、ちゃんと薬師に見て貰えるだろう。第一、疲労が激しい筈である。
「…ですなあ。」
かごめの言葉も尤もで、弥勒が今夜世話になることを承知した。親娘は喜んで、酒宴を開くとまで言っている。
「くだらねえ…。」
吐き捨てるように、犬夜叉が言った。
「かごめさま、珊瑚の様子は如何ですか。」
女性陣にあてがわれた部屋からかごめと薬師が出て来て、薬師を見送ったところで弥勒が問う。縁側に座り、待っていたらしい。
「うん。掌の傷も残らないって。まだ背中が痛むみたいだから、明日、飛来骨背負うのは無理ね。足の腫れも大分引いてはいるけど…。」
体中、傷だらけだった。湯浴み中、そして治療時と、見ているかごめの方が痛くなって来る程に。
「そうですか。」
少し、ほっとしたように、弥勒が目を伏せて微笑する。
「お風呂も入ったし、少しは元気になったんじゃないかな。弥勒さま、お見舞いに入ったら?」
かごめが、自分の後ろの障子戸を指差して言う。
「ええ、では」
そう言い掛けたところへ、
「法師どの。此処におられましたか。かごめどのも御一緒ですか。」
五十鈴が廊下をやって来た。
「酒宴の準備が整ってございます。お二人とも、どうぞ。」
「え、あ。じゃ、じゃあ、珊瑚ちゃん呼んで来るね。」
かごめが、部屋へ引き返して行く。
「珊瑚どのの治療は終わったのですね。ようございました。」
「薬師を呼んで頂き、有り難うございました。」
(なかなか、ゆっくり顔も見れねえもんだな。)
礼を言いながら、内心溜め息を吐く。
そこで、からり、と戸が開いて、二人が出て来た。珊瑚は、何時もの着物に着替えており、袖から出た腕と手には、痛々しい程のさらしが巻かれている。顔や、首の辺りにも薬布が貼られていた。
「珊瑚、大丈夫か?」
弥勒が声を掛けるが、たいしたことない、と気の無い返事が返って来る。そして、珊瑚は五十鈴へ礼を言った。
「では、あちらへ。」
三人を促し、五十鈴が廊下を戻って行く。
珊瑚は、かごめの後に続いてそちらへ向かうが、右足を引き摺っている。その足首にも、ぐるぐるに布が巻かれていた。
珊瑚の更に後ろを歩いていた弥勒がそれに気付いて、彼女の腰に手を廻す。
「うぎゃ!?」
悲鳴を上げて、珊瑚が隣に立った弥勒を睨み返した。
「何すんの、法師さま。」
人が、手を上げられないと思って、この男は。
「私の肩に、掴まりなさい。目の前でそのような歩き方をされては、気になってしようがないではありませんか。」
「…掴まるのも、無理なんだけど。」
ひらひらと、手を振って見せる珊瑚。
「おや、そうでしたな。では、抱いて行くか。」
「ば…っ、ばかものーーーっ!!」
(何時もの二人だわ…。)
弥勒と珊瑚の掛け合いを背中で聞いて、呆れながらも安心するかごめに、五十鈴が言った。
「法師どのと珊瑚どのは…、仲がよろしいのですね。」
「え?そりゃ、まあ。」
かごめが、答える。五十鈴の気持ちは判っているが、だからと言って、応援する気も無かった。
酒宴とは言え、別段誰某を呼んで騒ぐ、と言うものではなかった為、一同はほっとした。食事と、酒と。それさえ有れば十分だった。五十鈴と、両親、使用人達が、一行に酒を注いだり膳を運んで来たり、と急がしそうに立ち回っている。
(なかなか美味い酒だ。)
弥勒と犬夜叉は、杯を何度も口へ運んでいた。かごめと七宝はと言えば、珍しい料理に声を上げては、使用人達に材料や作り方を聞いている。
「……?」
弥勒が、珊瑚の姿が見えないのに気付く。
「如何なさいました?」
弥勒の隣に先程からずっとへばり付いている五十鈴が、彼の顔を覗き込む。
「いや。少々酔ったようで。ちょっと外の空気を吸って参ります。」
腰を上げた弥勒へ、五十鈴が追うように声を掛ける。
「では、わたくしもお供致します。」
これでは、意味が無い。弥勒は、言葉を選んで五十鈴へと告げる。
「このような闇夜に、おなごが男について行くものではありませんよ。五十鈴さまも、罪なことを言いなさる。御仏に仕える私の心を、乱すおつもりですか?」
じっ、と彼女の目を見つめて言った。
「そ、そのようなこと…。」
顔を朱に染めて、若い娘が戸惑う。この男の、手練手管に勝てるほど擦れてはいない。
「では。」
そう言って、弥勒が席を立つ。五十鈴に背を向け、酒宴の部屋を出て行く。その背中を、ぽ~っとなった娘が、熱い目で見送っていた。
(何処へ行ったのやら…ろくに歩けもしないくせに。)
組んだ両腕を袂に差し入れ、体との間に錫杖を挟み、のろのろと弥勒が廊下を歩いて行く。
すると。
「雲母、そんなに急がなくても、誰も盗ったりしないよ。」
普段は聞けない、朗らかな声。その声の主は、まさしく捜し人・珊瑚その人で。
縁側に腰を掛け、その彼女の足元には小妖怪の動物が、皿から餌を喰らっている。
幼い頃から一緒だと言う、その妖獣・雲母に向けられた、笑顔。共に旅をするようになっても、滅多に見られぬその表情を、弥勒は盗み見ていた。
「珊瑚。」
堪らず、声を掛ける。すると、呼ばれた少女は一瞬でその笑みを消し去ってしまい、予想通りとは言え、弥勒は落胆した。
「どうしたのさ、法師さま。」
「いや、些か酔ってしまったようで…風が気持ち良いですな。」
「法師さまが?」
酒に、酔うの?と、不審な眼つきで弥勒を見る珊瑚。彼が酒に強いのは、彼女も重々承知で。しかし、おまえを捜しに来たなどと言おうものなら、また、強がりを呼び起こしてしまう。
それ故、彼は嘘を吐いた。
自分の隣に腰を下ろした法師へ、言葉を繋ぐ。
「主賓が逃げて来ちゃ、駄目じゃない。」
餌を食べ終えた雲母が、珊瑚の膝の上へ飛び乗った。ごろごろと喉を鳴らし、気持ち良さげに目を瞑る。
「主賓は、おまえも同じでしょうに。」
「あたしは、ああいうのは…苦手だ。」
本当は。酒の席が苦手な訳では、ない。ただ、弥勒にしなだれかかる五十鈴を、見ているのが嫌だった。そんな風に感じている自分も、嫌で。何故こんな感情を抱くのか判らず、自分自身で持て余していたのだ。
「…五十鈴さん、置いて来て、いいの?」
黙ったまま隣に座っている弥勒へ、つい、本音を言ってしまう。言ってから、彼女は後悔した。
「…ははあ、珊瑚。さては、妬いていたのですね?」
からかうよう(かなり嬉しそう)に、弥勒が言う。何やら様子がおかしかったのは、これか。
「な…!なんであたしが妬くんだよ!」
真っ赤になって、否定する。が。
(やきもちなの?これって…あたし、嫉妬、してる、の?)
それは、どういう意味を伴うのか。混乱した頭で、思考する。あたしは、法師さまを…?
「それは、珊瑚が私を」
「言わんでいいーーーっ!!」
答えようとした弥勒の言葉を、鬼のような形相で遮る、珊瑚。
「い…っつ!」
思わず、掌を握り締めていた。激痛が走って、怪我をしていたことを、思い出す。
「何をしている。全く…。」
弥勒が身を乗り出して、珊瑚の右手を取る。
「…痕は残らないと、聞いたか?このような白魚の如き手に、傷が残っては許し難い。」
誰に対して許さないんだか、と思いつつ、弥勒の手を振り払って珊瑚が言う。
「別に、今更消えない傷が増えたところで、どうってことない。」
「…消えない傷が、残っているのか?」
目にしたことは、ない。着物で隠れる箇所に、痕が消えぬ傷が、あると言うのか。
「…いいだろ、どうだって。」
弥勒の問いにはまともに答えず、珊瑚が暗い表情をして前へ向き直った。
(奈落、絡みか…?)
弥勒が、想像する。珊瑚にとってそれは、琥珀と関連しているということを意味しているに他ならない。
「では、今度拝見させて頂きましょうか。二人きりになった所で。」
「ならんでいい。」
わざと話を茶化すように言った弥勒に、冷たい珊瑚の返事が間髪入れずに、飛んで来る。
こうなれば、この男の思う壺だ。
「今だって、構いませんよ。先刻、言ったでしょう。二人きりになったら、肌を晒してもよい、と。」
「なんか微妙に違ってない?それ。」
珊瑚の白い目が、助平法師を射抜く。
「違っていても、良い。どれ、着物を脱ぐのを手伝いましょうか?」
にっこり罪のない(ような)笑顔で手を差し伸べてくる弥勒を、憤怒の顔で、珊瑚が叱り飛ばす。
「こんの、助平法師ーーー!」
本日何発目かの、彼女の蹴りが、炸裂した。
が、それにめげるような弥勒法師ではなかった。
「今回の傷は、避けられていた傷だ。すまない、珊瑚。」
急に、真面目な顔で珊瑚へ言葉を紡ぐ。今日、一番言いたかった、言葉を。
自分の力及ばず、眼前で珊瑚を攫われてしまった時の、あの感情。それを伝えきることは到底不可能であった。心配で、心が裂かれるような、血の吹き出る思い…。
「な、なによ、急に…。」
急な変貌のしように、珊瑚の方が、毒気を抜かれる。
「おまえのあの姿は、美しいと、私は思った。」
五十鈴が嫌悪した、ぼろぼろの着物を身に纏った、血塗れの少女。しかし、それでも、珊瑚の本質までを覆い尽くすことは出来なくて。
生き抜こうとする、その戦いの果ての姿。それは、始めに見た真っさらな羽二重姿以上に、触れることも許されぬような、凛然とした美しさで。
だから、あの時 ――― 珊瑚が、襟元を隠そうとした時 ――― 誰にも、見せたくないと思った。
「…法師さま、やっぱり酔っ払ってるね。」
呆れたように、珊瑚が言う。少しだけ、頬を染めて。それだけで、弥勒には充分過ぎるほどだった。
「そうか。そうかもしれないな。」
弥勒が、夜空を見上げると、上弦の、月。周りにはさんざめくように、満天の星が広がっていた。
明くる日、一行はようやく町から解放され、次の旅路へ就いていた。
町長親子は、弥勒へ、町専属の法師となって暫く逗留して欲しいと願い出ていたが、はっきりと断られ、肩を落として一行を見送ったのだった。
五十鈴には泣かれたが、いつもの口八丁手八丁(いや、手は使っていないが)で潜り抜けた。
「弥勒にしては、珍しいのう。もっと鼻の下を伸ばすところじゃろうに。」
七宝が、厭味を込めて言う。そのくせ、居場所は彼の肩の上。
「残ってどうするんですか、全く。」
弥勒が、七宝を軽く小突く。
何時もと変わらぬ、余裕のある態度に表情。
(なんだか、あの時の顔が嘘みたいだ。)
彼の顔を見て、珊瑚が心の内で思う。自分を助け出した時の、あの瞬間の表情。
余裕の欠片も無い、必死の
面。
(あたしの、為…?)
この不良法師に、あんな顔をさせられるのは、もしかして、自分だけなのだろうか。そんな風に考える己が、恥ずかしくなる。
何考えているんだろう。妬いているとか言われたから、なんか意識しちゃってるだけだ、きっと。
「なんです、珊瑚。」
「え。」
「私の顔に、何かついていますか?」
何時の間にやら、弥勒の顔を凝視していたらしい。
「別に。やらしい顔しか、ついてない。」
慌ててそっぽを向くと同時に、憎まれ口が、吐いて出る。
「けっ、言われてやんの。」
珊瑚の代わりに飛来骨を背負った犬夜叉が、弥勒を見てざまあみろといった表情を晒す。
「……。」
無言で、弥勒が犬夜叉の頭を殴る。錫杖の鐶が揺れ、じゃらり、と音が重なった。
「珊瑚ちゃん、顔、赤いよ?」
かごめが、雲母に乗った珊瑚へ声を掛ける。
なんでもない、と頭を振る彼女を見遣って、
(少しは、目覚めてくれただろうか…?)
弥勒が、思う。それを、確かめる術はなくて。
しかし。
弥勒の思惑通り。
珊瑚自身も理解していなかった、心の底の感情。その扉を、ようやくゆっくりと解き放ったことには、鍵を開けた弥勒も、そして珊瑚も、まだ気付いていない。
■
B.G.M. <It's Tough> Misato Watanabe
読破お疲れ様でした。実は、管理人の作文二作目に当たる話です。故に、「この世~」「道~」とはちょっと傾向も文章の雰囲気も違ってます。
エピソード詰め込み過ぎてこんなに長くなってしまいました。それにしたって、珊瑚嬢、忍者のようですね。でも、どうしても珊瑚嬢と双一魔の戦いが書きたくって、こうなりました。それと、何故森の中に水牛が居るのか、ということは、深く考えないように(苦笑)。
しかし、戦闘シーンって難しい。頭で思い描いてるスピード感とかが、表せない。書きたかったくせに、敢え無く撃沈。
"矢の弾道"っていう日本語もどうなんだ!自分。しかも、途中で彼奴らに羽根があったことを綺麗さっぱり!失念してるし。まあ、いっかー。
本当は、五十鈴の話をもうちょっと膨らませたかったのですが、止めました。収集つかな過ぎ。ほんのちびりと匂わせてたのですが、結局ただの世間知らずのお嬢様で終わってしまいましたね。
兎にも角にも、最後まで読んで下さって、有り難うございました。
2001.06.24
■三夜原ありとさん・画■