鍵を探してる
‐‐‐ 壱
「?」
森を行く一行の耳に、微かに聞こえた、人の声?
「今、何か聞こえなかった?」
かごめが、耳の良い半幼の少年に問う。
「聞こえたな。」
「何処から?」
珊瑚が言ったと同時、また、声。助けを呼んでいるようだ。
「あっちか。」
「おなごの声ですな。」
心なし、法師の声が凛々しさを増す。
「おめーは、そういう所には…」
「行きますよ。このような刻限におなごが助けを呼んでいるとは、危険極まりない。」
「だからよ。」
呆れたように言う犬夜叉を尻目に、弥勒は声のする方へ足早に歩を進める。
「ま、いーけどね…。」
珊瑚も呆れ顔だが、法師の言うことは、間違っていない。が。
「おなごの声でなかったら、ああは行動が早くなかろうに。」
かごめの肩の上で、七宝が尤もらしく呟く。
そう言うことである。
暫く行くと、石の上に腰をかけた女が一人。
「如何されました。」
弥勒が、素早く彼女の前に立ち、声を掛ける。一行が、後ろに続く。
人の姿を視界に映し、ほんの少し安心したように女が口を開く。
「あ、あの、実は」
そこまで言って、女が驚愕の眼差しを浮かべた。
「きゃあああ!」
悲鳴を上げて後退りをする女に、一行のほうが驚いて、
「何やってんの!法師さま!」
珊瑚の拳が、げいん、と弥勒の頭を殴り飛ばす。てっきり、弥勒がまた妙な手癖を披露したのかと思って。
「…私はまだ何もしていませんが…。」
弥勒が、目を瞑って抗議する。
「よ、妖怪…!?」
女が、愕然とした声で、震えて言う。その目は、犬夜叉の姿を捉えていた。
「あ~、こっちね。」
かごめが、犬夜叉の横顔を見遣って、苦笑い交じりに言う。
「珊瑚。」
「ご、ごめん。法師さま…。」
「これは、大丈夫よ。眼つき悪いけど、安全だから。」
「おい。」
一行のやり取りを、暫くぽかんと見つめていた女は、取り敢えず、人間が一緒であることに安堵したように口を開いた。
「実は、この暗闇の中、どうすれば良いものかと、思案にくれておりました。心細うて…。」
その話し振りから、育ちの良さが窺われる。年の頃は、珊瑚達と似たような所か。なかなか可愛らしい少女であった。何も、おかしな所はない。ただ、一つを除いては。
その女は、羽二重の、死装束を身に着けていたのだ。
「失礼ですが、供の者はおられませんのか?このような場所に、おなご一人とは、どうにも 似つかわしくありませんが。」
弥勒が、膝を折り、少女の目線まで降りて優しく問い掛ける。
その弥勒の目に安心したのか、仏に仕えていることを顕すその姿に縋ったのか。
どちらかは定かでないが、娘は弥勒に促されるように語り出した。
その娘の名は、五十鈴。
五十鈴が語った、事の顛末はこうだった。
五十鈴は、この先の町の長の娘。その町には昔から年に一度、妖怪へ生贄を差し出す風習が残っていると言う。生贄を差し出さなかった年は、町は妖怪に襲われ、荒らされてしまうと言うのだ。
そして今年。占いによって選び出されたのが、五十鈴だった。その妖怪の居る場所と言うのが、この森の奥だったらしい。
「それで、そのような格好をして、この森に…。」
「はい。明日の、昼までには妖怪の元まで着かねばなりません…。」
五十鈴は、しくしくと泣いて、着物の袖を顔へ被せる。
「けっ、情けねえな。その町の連中は何やってんだ。女差し出して、自分たちはのうのうと暮らしてんのか。」
犬夜叉が、忌々しげに言う。この男にしてみれば、何もせず手を
拱いているだけの男衆が、信じられない。
「昔、妖怪退治に何人かの町人が森の奥へ入ったと聞きますが、誰一人、帰って来た者はおらぬそうです。それに、生贄の娘一人でなければ、姿を現さぬ、とも…。」
「ふん。なんにしても、ふざけた風習だ。」
「…今も、こういった古いしきたりに縛りつけられてる町や村は、少なくないんだ。退治屋に依頼して来るのなんて、まだ良い方だからね…。」
珊瑚が、悔しそうに言う。いつも、泣きを見るのは女・子供か。許せない。村の大人達にほんの少しの勇気があれば、自分達退治屋が、出張って行くというのに…。
さめざめと泣く五十鈴を見て、珊瑚が後を続ける。
「あたしが、代わりに行ってやるよ。」
「え?」
「は?」
五十鈴が、思わず顔を上げて、珊瑚を見遣る。
珊瑚の突然の申し出に、弥勒始め一行も、聞き返すように彼女の方へと振り返る。
「さ、珊瑚ちゃん。そりゃ、五十鈴さんは助けてあげなくちゃだけど。」
かごめが慌てて言う。その先は、弥勒が後を受けた。
「何もそう急いて方法を決めなくても良いでしょう。明日の昼まで、時間はあるというのに。」
「法師さままで、何言ってんの。一番手っ取り早いじゃないか。」
止めに入った二人へ、面倒臭そうに珊瑚が答える。
「しかし珊瑚。」
「女を囮にするってのは、いけすかねえ。」
犬夜叉が、弥勒の声を遮って声を発した。
「だから、囮じゃなくて、あたしが退治に行って来るんだって。」
(まったくこいつは、なんでこうなんだ…。)
弥勒が、内心うんざりとして肩を落とす。
「ねえ、待って。明日のお昼まででいいんでしょ?取り敢えず、今夜作戦を練るとして、寝床探さなきゃ。ね、そうしよ。」
かごめが提案して、なんとかその場は収まった。もともと、自分達一行も、今日は野宿だと、覚悟を決めてこの森に入ったのだ。そう急くことはない。
五十鈴を一行に加え、夜露を凌げる場所探しへ移動する。
珊瑚の脇を通り過ぎる瞬間、弥勒が、極小さな声で言った。
「おまえは、何も判っていない。」
「え?」
珊瑚の声には答えずに、弥勒は五十鈴を伴って先へ行く。
「?何怒ってんのさ?」
彼の声に険が含まれていたことを感じ取り、珊瑚が不思議そうに一人、呟いた。
森の中で、洞穴のような箇所を見つけた一行は、今夜はそこで眠ることに決めた。
五十鈴の話を詳細まで聞き、結局出た結論は、生贄の衣装を着た珊瑚が妖怪を誘き出し、身を隠して後を尾行て行った犬夜叉と弥勒が加勢する、というものだった。
「だから、さっき言ったのに。」
「先程珊瑚が言ったのは、一人で行くという意味でしたでしょう。」
にこりともせず、弥勒が言う。
「あたしはそれでもいいんだけど。」
は~、と、深い溜め息を吐いた弥勒の様子を見て、かごめが口を挟む。
「でも、その妖怪、誰も見たことないんだし、どんな奴なのかもわからないし。用心にこしたことないでしょ?」
「まあ、うん。」
確かに、どんな奴か全くわからない、ということは、多少の危険を覚えるが。
村が襲われたのでさえ何十年も前のことで、誰も、何も、判らないのだから、犬夜叉の呆れ具合もかなりの域まで達していた。
「でも、五十鈴さんも災難よね。こんな所まで一人で来て、怖い思いして。」
かごめが気遣って、五十鈴へ声を掛ける。
「わたくしが、生贄に選ばれるなど…思いもよらぬこと。まこと、驚きました。占い師には、てっきり父が手を廻して避けさせてくれるとばかり思っておりました故…。」
「え゛。」
「それでは占いの意味がないのでは…。」
七宝が、呆れて言う。どうやら、なかなかに自分本位な姫君様らしい。
「まあ、ここでその悪習も断ち切れるのですから良かったではないですか。」
弥勒が、わざと話を逸らした。
「法師どの、何卒、宜しくお願い申し上げまする。」
五十鈴が、弥勒の方を見て頭を下げる。
その五十鈴の目は、何やらほわんとしている。弥勒を見る眼つきが、違う。
「わたくしは、なんだかまだ怖いのです…。」
「安心なされませ。我々が、必ずや成敗してご覧にいれます故。」
五十鈴の肩に手を置いて、弥勒が慰めるように優しげな声音で答えた。
五十鈴の目には、ほんのり涙が滲んでいて。
(かわいい、な。この子。女の子、って感じ。)
珊瑚が、その様子を見て思う。
五十鈴の様子を見ていれば、判る。恐らく彼女は、弥勒に惚れてしまっている。
この、極限の自分の状態を救ってくれるという男。物腰は優しく、仏に仕える真摯な者。これだけ条件が揃ってしまえば、年頃の娘が心を奪われてしまっても、文句は言えまい。ましてや、この青年、見栄えも悪くはないのだから。
「頭を下げるなら、珊瑚に下げるべきじゃ。」
七宝が、かごめの後ろで、ぼそり、と言う。先程の五十鈴の発言を聞いて、自分勝手な印象を拭えず、珍しく女に非難めいた言葉を口にする。
「しーっ、七宝ちゃん。」
かごめが、人差し指を口前にかざし、七宝に小さく呟いた。
犬夜叉も、珍しく黙っている。
「弥勒さまって、女に優し過ぎるのも考えもんよね。」
「ま、退治だけは、しなきゃなんねーからな。」
かごめの言葉を受けて、犬夜叉も囁くような小さな声で答えた。
ふ、と珊瑚が目を開ける。半身を起こして辺りを見廻すと、皆、よく眠っているようだ。
五十鈴は。
珊瑚とかごめの間に入るように横になっている彼女は、少し寒そうに、肩に力を入れて眠っている。このような場所で、いや、野宿そのものが、初めての経験なのだろう。
暖かい場所から出たことのない、何の寒さも知らず暖衣飽食のもと大事に育てられて来たらしいことは、珊瑚にも判る。それを、突然生贄などと面食らったに違いない。
不安で、誰かを…法師を、頼ってしまう気持ちは、充分理解出来る。
(守ってあげたいと思わせる女って、こんな子かな。)
とても可憐で、儚げで。裕福な者特有な勝手さも、許されてしまうような。
珊瑚は、己が体に掛けていた布を、五十鈴に被せてやると、風呂敷に包んだ荷を持って、洞穴から出て行った。そっと、誰も起こさぬように。
木々の隙間から月明かりが洩れ、視界が利くほどの明るさの場所をみつけ、珊瑚は其処へ腰を下ろした。その小さな両の膝上に風呂敷を広げ、何やら作業を始める。
いくらも時間は経っていない。其処へ、人の気配。
思わず脇差しを抜いて、その右手をかざして振り返る、珊瑚。
「誰だ!?」
「私ですよ、珊瑚。」
「法師さま?」
「その物騒なものを仕舞ってくれますか?」
すまない、と呟いて、珊瑚は刀を鞘に戻す。何時もなら、殺気が有るか無いかの区別くらい、つくのに。少し、
精神が乱れているかな、と珊瑚は思う。
「ごめん、起こしちゃった?」
「いえ、なかなか寝付けずにいたので。」
「?どうしたのさ。疲れてるだろうに。」
(おまえの所為だ、と言ったら、どんな顔をするだろうな。)
心の中で、また、からかい心が疼く。しかし、明日のことを考えると不安になった。おまけに、当の本人は他人の心配など余所に、囮になると言い張るのだから。
「珊瑚こそ、何をしているのです?」
弥勒が、夜中に抜け出した珊瑚の真意を問う。その答は、珊瑚の隣に腰を下ろしてようやく判る。
「明日は、飛来骨を手許に置いとけないだろ。だから、暗器の整備、念入りにしておかなきゃ、と思って。」
珊瑚の膝に広げられた、暗器 ――― 隠し武器の数々。このような、この美しい娘に不釣合いな武具たちが、彼女の体に仕込まれるのだ。
「なるほど。これだけの物を、おまえは身に纏っている訳か。」
「うん。」
短く答えて、珊瑚は得物を磨き続ける。些細な不備も、許されない。己が命を、守る物達。
「…まったく、
何故おまえはこういう輩なのでしょうな。」
「…法師さま、さっきから、変じゃない?なんか、怒ってるみたい。」
皆目見当がつかない、と言った表情で、珊瑚が弥勒の方を向き直る。
「怒りたくもなる。他人の心配も無視して、お前は自ら危険なことばかり口にするのだから。」
先程から腹に据えていた思いを、弥勒がぶちまけた。
「…そんなこと、怒ってたの?」
つまらなそうな顔で、珊瑚が答える。
「そんなこと、ではないでしょう。全く、いくらでも方法はあるというのに…。」
再び、険を含んで弥勒が言った。
「それでこの方法なんだから、いいんだろ?」
「だから、そういう問題では…」
「大丈夫だよ。あたしは。」
埒が、あかない。判っていない、この女は。どーしたもんか、と弥勒が頭を抱える。
「どうしたのさ。」
「いえ、ちょっと頭痛が…。」
ふ~、と長い溜め息を吹き出し、弥勒が猶も続けた。
「珊瑚、それでも、無茶をするな。」
珊瑚が、顔を上げる。
「頼むから、私の言うことを聞いてくれ。」
これ以上言っても仕方がない。退治屋の、娘なのだ。自分が惚れた女は。妖怪との戦いを生業とする、退治屋の。
「ヘンなの。法師さま。でも、ちゃんと頭に入れておく。」
そう言って、彼女は苦笑いを弥勒に向けた。その視線が、珊瑚を見つめる弥勒の視線と、絡む。
何の気も無しに、見つめ返してくる瞳。それが、今の弥勒には痛い。
「珊瑚、寒くはないか?五十鈴さまに、夜具を貸してしまっただろう。」
「別に、これくらい平気。」
「…甘えて欲しいんですがね。」
弥勒はそう呟いて、自分が身に纏っている袈裟を、外し始める。
「法師さま?」
珊瑚が、怪訝な顔をして、弥勒を見る。何してんの、この人は。
脱ぎ終えた袈裟を、珊瑚の肩から、ばさり、と掛けた。
「え。い、いいよ、法師さまが寒いじゃないか!」
遠慮の声を上げる、珊瑚。
「おなごが、体を冷やすものではない。第一、洞穴に戻っても、おまえが掛ける夜具が無いでしょう。朝まで、それをお持ちなさい。」
「…ありがと。」
珊瑚が、俯いて、小さく礼の言の葉を口にする。
彼女の肩に、弥勒が手を廻そうとしたその時。
「おい。弥勒。」
背後で、犬夜叉の声。
(ちっ。この馬鹿犬が…。)
「おや、おまえも起きたのですか。」
心の内で思ったことは隠し通し、何でもないように見返る。
「…あの、五十鈴って女が、おまえを呼んでる。」
「は?」
弥勒が問い返す。珊瑚は、振り向かない。
「目ぇ醒まして、おまえが居なくて、妖怪の俺が居るから不安なんだとよ。かごめ程度じゃ安心ならねえらしい。」
犬夜叉が、膨れっ面で吐き捨てる。多少、傷ついているようだ。
「…そうですか、では戻りましょう。珊瑚は…?」
「あたしは、まだやることがあるから。」
立ち上がった弥勒が、珊瑚の顔を覗き込むように問うたが、彼女は、そちらを見ずに答えた。
「…では、犬夜叉。私の代わりに、珊瑚を見張ってくれますか。」
「は?」
「え?」
弥勒の意外な依頼に、犬夜叉と珊瑚、両者が怪訝な声を発する。
「珊瑚見張ってどうすんだ?こいつなら、妖怪の方が逃げてくだろーに。」
口の悪い少年が、法師の真意が判らず、問う。
「夜が明ける前に、一人で妖怪の所へ行ってしまわぬように、です。」
「!!」
珊瑚が、思わず振り返る。弥勒は、もう洞穴の方へと向いている為、背中しか見えない。
(お見通しなわけか…。)
何も、時間を掛ける必要はない。今退治に行ったって、なんの支障もない。珊瑚は、そう思っていた。それに、弥勒と五十鈴が一緒の所も、あまり長く見ていたくはない。
「おめえ、んなこと考えてたのか?」
「…まさか。法師さまの、考え過ぎ。」
「ま、どっちでもいいけどよ。おまえ一人でいいカッコすんじゃねえぞ。」
犬夜叉が、頭の後ろに両手を組んで、ごろり、と珊瑚の脇に寝転ぶ。
つっけんどんな言い方だが、彼なりに心配しているらしい。
「犬夜叉こそ、かごめちゃんについていてあげなくていいの?」
「ば…っ、何言ってんでい!」
犬夜叉が、顔を赤くして、飛び起きる。
(判り易い奴…。)
犬夜叉のことなら、こんなに判り易いのに、…彼は、本当に何を考えているのか判らない。
珊瑚の膝の上にある武具を珍しそうに覗き込む犬夜叉と、他愛もない話をし、暫くして二人は洞穴へと戻った。
「お帰りなさい。」
二人を迎えた弥勒の膝には。
五十鈴が、頭を載せて寝息を立てていた。
「…法師さま、眠ればいいのに。」
珊瑚が、冷ややかな視線を弥勒に浴びせる。
(いくらなんでも、膝枕までしなくてもいいんじゃないの!?)
流石にこれにはむっとした珊瑚の物言いに、犬夜叉は障らぬように、とっとと自分の寝場所へ移動し、胡座を掻いた。かごめが、ぐっすりと眠っているのを確認し、自分も目を瞑った。
「待っていたのです。珊瑚。」
「なにを。」
厳しい声音で、珊瑚が聞き返す。弥勒は、空いた方の膝をポン、と叩き、
「こちらは、空いていますよ。」
と、にっこりと微笑む。
「…おやすみ。」
珊瑚が、弥勒の戯言を無視して、かごめの隣へ横になる。そして、法師から借りた袈裟を、頭から被った。
「振られたのう、弥勒。」
「起きていたのですか、七宝。」
がっくりと肩を落とした彼の背後から、七宝が顔を出し、ざまあみろ、とでも言いたげな表情を作る。
(いいんだ。あたしには、これがある。これで、充分、暖かい…。)
珊瑚は、ぎゅう、と袈裟の端を握り締めていた。
そんな珊瑚の気持ちは知らず、弥勒は己が袈裟で覆われた彼女の背中を複雑な表情で見つめていた。
左膝には五十鈴、右膝には、何時の間にやら収まった七宝の寝顔を載せたままで。
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