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©2001 minato



鍵を探してる



‐‐‐ 参




珊瑚が意識を取り戻したのは、(ねぐら)へ連れて行かれ、暫し時が流れてからであった。
(此処は…?あたし…)
周りには、土壁が見えるばかり。光は、無い。
朦朧とした頭に、無理やり考えさせようとする。
(!法師さま!犬夜叉!)
思い出した。事の成り行きを。頭を上げた珊瑚の両腕、両足に違和感があった。
(!)
珊瑚の体は、木の枝を研いで十字に組んだものに磔にされ、自由を奪われていた。
「目が醒めたか。娘よ。」
眼の前に、赤蒜、青蒜が胡座を掻いて座っていた。
明々と燃える火が、彼奴等の向こう側でばちばち音を立てている。
「きさまら…!二人はどうした!」
気絶していた珊瑚には、弥勒と犬夜叉がどうなったのかが判らない。それを、妖怪共へと、問う。
「あやつらか、あのまま置いて来た。おまえが攫われるのを、指を咥えて見ていただろうに。」
口端を吊り上げ、破顔して、赤蒜が答える。
(無事なのか。良かった。)
「あやつら…、特に、法衣姿の方の男…。あやつは、おまえの情夫(いろ)か?」
「な!」
何言ってるんだ、この馬鹿妖怪は。
「おまえを救おうと、なかなか侮れぬ形相で向かって来おったからのう。」
赤蒜、青蒜が、楽しそうに珊瑚へ言葉を浴びせる。
「ふざけるな。あたしを、どうする気だ。」
妖怪共の挑発になど乗らず、珊瑚が問い返す。
「おまえか、そうだな。まず、その美しさを暫く眺めさせて貰うとする。先に、獣共の肉で腹ごしらえしたあと、喰ろうてくれるわ。」
「ほんに、良い肴になる。」
また、両妖怪が、珊瑚の頭の先から足の爪先までを、嘗め回すように、見る。
気持ち悪い。珊瑚の背中に、悪寒が走る。
両妖怪は、自分達の前にある猪や狐、熊などの肉隗を、引き裂き始めた。そして、その引き裂いた半分ずつを、互いが喰らう。
(…妙だ。)
その様子を見ていた珊瑚は、何か引っ掛かるものを感じ取った。
これだけ頭数がある、獣の屍。何も、一つの物をわざわざ二つに割いて分けずとも、全体の数を分ければいいのではないか…?
(こいつら、双一魔(そういつま)か…!)
其処へ、思い当たる。双一魔。二人で、一人。全ての物を、共有して生きる、妖怪。
食料も、同じ物を割いて喰らう。勿論、その痛みも共にある。両者の、同じ箇所を同じ瞬間に攻撃しなければ、有効打を与えることは不可能だと言う。
そして…だから、と言うべきか、両者共に姿を現すことは滅多に無い。
(そうか、そういうことか…。)
それぞれを、ばらばらに攻撃していた先程の自分達に、勝機が無かったのも至極当然のこと。相手は、双一魔だったのだ。
(なんとか逃げ出さなければ。)
恐らく、弥勒達が再び救出に向かって来るだろう。しかし、それを待っている余裕は無い。
珊瑚一人で両者に同時攻撃を繰り出して、倒すに至らせるのは、まず、不可能。それでも、逃げるだけならば…なんとかなる。いや、なんとかせねばならなかった。
珊瑚を観賞しながら獣を喰らい、気分が良くなったのか、両妖怪共、いびきを掻き始めた。時機は、今しかない。
珊瑚は、右腕に隠した立ち鎌から指先に繋がれた極細の紐を引く。すると、腕に沿っていた鎌が立ち上がり、彼女の白い袖諸共、腕を縛り付けていた縄を切り裂いた。
自由になった右手で、足を縛る縄を切る。そして、左腕。
体を縛る全ての物を断ち切って、磔から地上へ着地した瞬間。
「逃げられると思うてか、娘。」
ゆらり、と赤蒜が立ち上げる。
まるで、人間が娘の抵抗を期待していた、と言わんばかりの、楽しげな顔で。
「遊んでくれようぞ。」
青蒜も、後に続く。
(こいつら、油断している。)
其処に、珊瑚の突け込む隙が生じた。
地面を蹴り、可能な限りの速さで彼女が赤蒜と青蒜の間へ滑り込む。
そして。
屈んだかと思うと、着物の裾をはだけ、太腿辺りに隠された苦無(くない)を引き抜く。全部で六本。三本ずつを左右の手に持ち、握った拳の指の付け根に苦無を挟んだ。
その両手を己が胸の前で交差させる。そして。思い切りその両腕を左右に振り切る。
この間、ほんの刹那。
びゅっ!
唸りを上げて、左右に放たれた苦無が一直線に妖怪共へ向かって行く。その先は。
「うぎゃあ!!」
赤蒜、青蒜が、同時に悲鳴を上げた。その手は、顔を押さえ…。
珊瑚が、その隙を突いて走り出す。
(逃げなければ、出来るだけ、遠くへ…!)
塒を抜け出し、森の中へと身を躍らせる珊瑚。
「あの、小娘…!」
退治屋が娘の苦無は、全て、思った通りの所へ命中していた。両者の、左目。彼女の武器は、同時にそこを射抜いていた。
顔から血を滴らせ、両者が珊瑚を追う。しかし、平衡感覚が、崩れている。
珊瑚の狙いは其処だった。この巨躯を崩すには、内側の機能を狂わせるしかない。とてもじゃないが、苦無程度で心臓を射抜くのは無理。その体をまともに崩すのは容易くは無い。
力の限り、走る。此処が何処かは判らないから、先程自分が攫われた方へ向かっているとは限らない。弥勒達の居る方へ、向かっているのかは…。それでも、立ち止まる訳にはいかぬのだ。例え、逆の方向へ駆け出してしまったのだとしても。
その時。背後に、邪気。珊瑚が振り返った時には、追い付かれていた。
「くっ!」
やはり、左目だけではこの程度の影響力か。
そう思った瞬間、赤蒜の右腕が横殴りに飛んで来る。
「!!」
脇腹に、衝撃を受けたかと思うと、珊瑚の体は薙ぎ払われていた。飛ばされた体が、近くの樹木に激突して、その勢いを止める。
「げほっ、…っ」
息が、苦しい。木にぶつかった時に切れたのか、口の中に、血の味が広がる。
「よくも、小癪な真似を…。」
「これでも手加減したのだから、有り難く思え。」
赤蒜と青蒜が、倒れた珊瑚の体を挟むように、両脇に立った。
(馬鹿か、こいつら。)
同じ、ことを。
倒れたまま、珊瑚は右腕をゆっくりと左腕の袖の中へ差し入れる。其処には、指の太さほどの鋼の棒が、一本ずつ筒に入れられ布を土台に巻き付けてあった。その鉄棒の切っ先は、矢尻のように、鋭く尖っている。
それを右手に二本取り、がばっ、と起き上がる珊瑚。
と、同時。一本を左手に持ち替え、両腕を振り上げ、一気に振り下ろす。
その鉄棒の先が、両妖怪の左足の甲を貫き、地面まで串刺しにした。
「ぐぎゃああああ!」
再び、妖怪の不気味な悲鳴が森に轟く。
先程も間を取られて同時に攻撃を喰らったくせに、また、同じ状況を自分達から作るなど。珊瑚に言わせれば、『馬鹿妖怪』 以外の何者でもない。
(こいつら、頭はあまり良くない。)
痛む体を押して、再び珊瑚は大地を蹴った。見れば、着物も既にぼろぼろだ。枝の生い茂る森の中、構わず駆けて来たのだから、無理もない。
「この、娘ぇー!!」
双一魔が、怒りの声を上げる。
珊瑚は跳び上がって枝を掴むと、その反動で次の枝へと足から着地する。山猿のように、機敏な動きで枝から枝へと渡って行く。
なるべく、撹乱した動きを取らなければ。
背中が、痛む。先程樹木に激突した所為だ。足も少し挫いてしまっている。しかし、そんなことはいっておれなかった。あの鉄棒を引き抜き、奴らが追い付いてくるのも時間の問題だ。一刻の、猶予も無い。
必死で逃げる娘の思いを嘲るかのように、掴んだ枝が、ぼきり、と折れた。
(しま…っ…)
そう思った時には遅かった。細い枝を掴んでしまった珊瑚の体は、そのまま地面へ叩き付けられた。受身を取る暇も無く、肩が悲鳴を上げる。
まずい。ここで立ち止まる訳には…。
珊瑚が体を引き摺って、立ち上がる。痛めた肩を抑えて、走ろうとする、が。挫いた足が、思う速さで動いてくれない。
(ちきしょう…!)
少し歩を進めたところで、背後の木々がざわめいた。
「みつけたぞ!!」
火の点いたような形相で、赤蒜が姿を現した。その隣、青蒜の腕が、もの凄い勢いで珊瑚の方へ向かって来る。
「ちっ!」
間一髪、その腕を飛び退って避け、岩の上に着地する。が、其処へ間を置かず、赤蒜の腕が伸びる。
「!」
今度は避け切れず、赤蒜の腕が彼女の胸元を掴み、そのまま岩の上に押し倒した。
「あぅっ…!」
背中を、また(したた)か打ち付ける。仰向けにされた珊瑚の体は、首から先が岩上からはみ出し、白い喉元が曝け出された。豊かな黒い髪が何時の間にか解け、風に弄ばれるように波打っており。
逆さになった頭に、血が、集中して行く。
傷の痛みと、血の逆流で、意識が朦朧として来る中、彼奴等の声が、遠くで聞こえた。
「よくぞ、ここまで我らを手こずらせてくれた。褒めてやろう。」
「今楽にしてやる…我らの、腹の中でな。」
これで、終わりか…と彼女が思った瞬間。
「珊瑚!!」
聞き慣れた、自分を呼ぶ声。
瞑られた瞼が、反射的に開く。逆さになったその瞳に映ったのは、濃い、紫色の、袈裟。
じゃらり、と音がして、その影が地面を蹴って自分の頭の上を跳び越えたのが、見えた。
「きさまあああっ!!」
怒声と共に、珊瑚の体を押し付けていた赤蒜の体躯を錫杖で振り抜く。
がきいっ、と鈍い音がして、赤蒜の体が真横へ吹っ飛んだ。
「ほ、ほうし、さま…?」
珊瑚が、ぼうっとした頭で、呟く。
仰向けになった珊瑚を抱き起こし、そのまま自分の胸に抱えて飛び退る。
「無事か、珊瑚!」
頭の上から、彼の声が降って来た。
(なんて顔を、してるのさ…。)
胸の中から見上げた彼の顔は、いつもの余裕綽々の表情が、微塵も無い。『侮れぬ、必死の形相』 。妖怪が言っていた言葉を、思い出す。
(そんな顔、あたしがさせちゃったのかな…。)
「珊瑚ちゃん!!」
「珊瑚!!」
かごめ、七宝が、目に涙を溜めて彼女を迎えた。雲母も、珊瑚の血の付いた口許を拭うように頬摺りする。その後ろに、五十鈴が居た。
犬夜叉は、既に妖怪共に立ち向かっている。
「かごめさま、頼みます。」
「違う。法師さま。」
体を起こして、かごめが弓を射ようとするのを止める。
「犬夜叉も聞いて!そいつらは、双一魔だ!」
珊瑚が、叫ぶ。
「なにい?」
犬夜叉が、我が意を得たり、という顔で、にやりと笑う。
「なるほど、そういうことか!」
弥勒も、双一魔という種族を知っているらしい。説明する手間が省けた、と珊瑚が胸を撫で下ろす。
「おのれ、小娘…!」
犬夜叉の元へ駆けて戻った弥勒が声を掛ける。
「犬夜叉、聞いたな?」
「ああ、そうと判れば。」
二人が、背中を合わせて、それぞれの獲物の方へ向き遣る。
「まずは?」
弥勒が犬夜叉の先を促すと、彼は一言で答えた。
「右腕!!」
「承知!」
犬夜叉の、狙いを定める声を合図に、二人が背中を離して妖怪の懐へ飛び込んで行った。
「うりゃあああ!」
怒鳴り声と共に、犬夜叉が鉄砕牙を振り上げる。
弥勒の方は、自分に向かって大振りされた青蒜の右腕を、身を屈めてかわした所。
お互いが、ちらりと相棒を見遣って目を合わせる。その、瞬間。
振り上げた鉄砕牙が空気を下方へ切り裂き、赤蒜の右腕を薙いだ。
そして。
かわした己が身をそのまま青蒜の懐深く滑らせ、まだ頭の上に残された奴の右腕の肘を、逆に曲げるように錫杖を振り上げる、弥勒。
正に、同時であった。
「ぐわあああああ!!」
双一魔の叫びが、一行の耳を(つんざ)いた。
赤蒜は、肘から腕を落とされ。青蒜は、肘を砕かれ、ただぶら下がっているだけの、無用の長物と化した、腕。
「やった!」
かごめが、言う。
「さて、次はどこがいい。双一魔。」
犬夜叉が、勝ち誇ったように言う。
「さっきの礼は、ちゃんと返すぜ。」
そう続ける犬夜叉だが、弥勒は口を開かなかった。
ただ、その目が。
どうしようもないほどの怒りを湛えている。
「…調子に乗るな、小僧!」
双一魔が、再び向かって来る。
「犬夜叉、こいつら、とっとと落としてしまうぞ!」
弥勒が、自分に向かって来る青蒜からは目を離さずに、怒鳴った。
「わかってる!次は、心の臓だ!!」
しかし。
そう容易には事は運ばなかった。双一魔だと敵に悟られた以上、そう何度も同じ箇所を晒してくれるものではない。奴らも、戦い方を変えた。こうなると、如何に息の合った二人でも、同一箇所・同時攻撃を繰り出すことは至難の業。
次第に、形勢は逆転して行く。当然のことであった。この、同時攻撃が出来ぬ限り、敵を倒すことは叶わないのだから。理屈では判っていても、行動が伴わない。
「このままじゃ…。」
かごめが、心配そうに言った時。
「かごめちゃん、矢を、放って。」
黙って戦況を見つめていた珊瑚が、口を開いた。
「え、でも、あたし二本同時になんか。」
かごめが、珊瑚の真意を量りかねて、問う。
「一本は、あたしが刺しに行く。」
そう言って、かごめの背中にある矢を一本握った珊瑚だったが。
「つ…っ!」
からん、と、矢を取りこぼす。
「珊瑚ちゃん、その手じゃ無理よ!」
珊瑚の掌を見たかごめが、止めに入る。
彼女の掌と指の腹は、皮が捲れ、血が吹き出していた。無理も無い。突起の有る枝を次から次へと掴んでは放し。摩擦でぼろぼろになっていても当然だった。これでは、握ることも出来ない。
「かごめちゃん、この布、貸して。」
「え?」
珊瑚が、かごめの答を待たずに彼女のセーラー服のスカーフを抜き取った。そして、無理やりその右手に矢を持って、スカーフの端を口に加え、痛む左手とその口で、矢ごと自分の右手を巻いて固定する。
「珊瑚ちゃん…。」
「いい?左肩…ううん、背中。背中でいいから。それなら、当てられる?」
珊瑚が、範囲を広めてかごめに言う。
「それなら、なんとか。」
「じゃあ、かごめちゃんは赤蒜を。あたしは青蒜の背後に廻るから。合図したら打って。」
「でも、背中、なんて広い範囲で大丈夫なの?」
同じ箇所を、狙わねばならない。『背中』 なら広くて当て易いが、その分お互いの場所が、定まらな過ぎるのでは…。
かごめの疑問を解くように、珊瑚が言った。
「大丈夫。あたしが、かごめちゃんの矢の弾道を見極るから。」
凄い。そんなことが、可能なのか。改めて、珊瑚が退治屋なのだということを、思い出す。
凛々しい瞳をしたこの少女は、傷付いて猶、戦うことを()めようとはしない。
「判った。」
かごめが頷くのを確認して、珊瑚が静かに走って行く。体は、悲鳴を上げる。それでも。
「さっきの勢いはどうした、小僧ども。」
「…犬夜叉はまだしも、私が小僧と言われるのは心外だ。」
押されながらも、軽口が吐いて出る。珊瑚の無事を確かめ、少し気持ちに余裕が戻ったらしい。しかし、彼女を傷付けたことに対する怒りが鎮まった訳では、決して、無い。
「何言ってんだ弥勒!」
耳が良い犬夜叉は、聞き逃さなかった。
その時、弥勒の目に、珊瑚の動きが映る。
(あいつ…!何する気だ!?)
じっとしてろよ、怪我してんだから…と思いつつも、双一魔達に彼女の動きを気取られぬよう、顔色を変えずに、錫杖を振るい続ける。
青蒜の背後に廻った珊瑚は、
「かごめちゃん!!」
声を放つと同時に、地面を蹴って跳び上がる。
「当たれぇっ!!」
かごめが、珊瑚の声を合図に、赤蒜の背中へ向かって矢を放った。
かごめの矢の弾道を見て、此処だ、と狙いを定める珊瑚。
振り上げた右手を、落下して行く体毎狙いと寸分違わぬ箇所へ振り下ろす。
ぐさり、と肉を突き刺す手応え。血が、ぴっ、と飛び出す。
それと時を同じくして、赤蒜の背中にかごめの矢が突き刺さる。
「ぎゃあっ!!」
双一魔が、同時に驚愕の声を上げた。
仰け反った青蒜の背中から、体を離そうと、珊瑚は痛む掌に力を入れて、矢を引き抜いた。返り血が、どばっ、と彼女の体に降り注ぐ。
「法師さま、犬夜叉!!」
青蒜の背中を蹴って、地面へと着地する珊瑚が、二人の名を呼ぶ。
今だ、と。
背中の激痛に無防備になった双一魔を見据え、
「弥勒!心臓だ!!」
犬夜叉が叫ぶ。
「妖魔」
弥勒が、低く呟き護符を青蒜の心臓へ投げる。
「退散!!」
右手に持った錫杖を、その護符目掛け、投げ飛ばす。錫杖の先が護符へ追い付き、その符を押すようにして、一直線に青蒜の心臓へと、宙を、突き進む。
護符を押し戴いた錫杖が、奴の心臓を貫いたと同時。
「ここまでだ!!」
犬夜叉が鉄砕牙を持ったまま赤蒜の懐へと飛び込み、心の臓を突き刺していた。
「おのれ、おのれええええ!!」
二匹の妖怪の断末魔が、森の中に轟き渡り、ぐしゃり、とその場に巨躯が倒れ、双一魔は、息絶えた。
「やったー!!」
かごめと七宝は、手を取り合って、歓喜の声を上げる。
「珊瑚!」
護符の力に因り汚れを知らぬままの錫杖を、妖の骸より拾い上げ、珊瑚の元へと走り寄ろうとする弥勒。が。
「法師どの!」
五十鈴が、弥勒へと駆け寄り、ひし、とその腕に取り縋った。
「無事でようございました。わたくし、恐ろしゅうて恐ろしゅうて…。」
また、さめざめと、泣く。
「、五十鈴さま。もう心配はありませんので、泣かずとも…。」
(参ったな…。)
内心、舌打ちする弥勒の傍に、一行が集まって来る。その中に、珊瑚の姿。
「珊瑚、大丈夫か。無茶をして…。」
五十鈴を腕に抱えたまま、弥勒が珊瑚の方を振り返って言う。
もっと、他に言いたいことがある。何よりも先に、守れなかったことを、詫びたいのに。
珊瑚の姿は、痛々しいものだった。白い着物が、自分の血と、妖怪の返り血とで、深紅に染められている。袖や裾はぼろぼろに千切れ、胸元も大分はだけられ、肌が露になっていた。裾の合わせ目もずれてしまい、右足の膝下辺りまでが、剥き出しになっている。
「これぐらい、慣れてる。」
弥勒の目を見ずに、珊瑚がぽつりと言った。かごめが、珊瑚の右手の布を解いてやっている。
その声に、五十鈴が珊瑚を見る為に、顔を上げる。
「ひっ。」
血塗れの彼女を見て、悲鳴を洩らす、五十鈴。
「な、なんじゃ五十鈴!」
七宝が、怒って五十鈴へ声を荒げた。
「な、なんという格好を。」
娘にあるまじき姿、とでも言いたげな、五十鈴の言葉。
「誰の為に珊瑚がこんな格好になったと思うておるんじゃー!!」
「やめな、七宝。…五十鈴さん、あんたに近寄ったりしないから、心配しないで。」
それでも珊瑚は、五十鈴を気遣って、言った。
娘として、当然の反応なのかもしれない。だって、自分は普通の女の子の感覚なんて、よく判らないから…。
「…あいつらの左目と、左足。おめえがやったのか?」
犬夜叉が、話を逸らす。五十鈴を怒鳴りつけたい思いは七宝と同じだったが、当の珊瑚が庇っている以上、自分は何も言えない。それでも気分の悪さは収まりそうにないので、無視することに決めたのだ。
「ああ。」
犬夜叉の方へ顔を向けて、珊瑚が答えた。
「血、流してたってことは、一人で同時攻撃やってのけたってことだろ?流石だな。」
犬夜叉が、感嘆の声を上げる。女一人で、よくもあそこまで、戦ったものだ。最後のとどめだとて、珊瑚の協力があってこそ刺せたのだ。
「それより、」
珊瑚が、言う。
「来てくれて、有り難う。」
皆に、聞こえるように。
(先に言われてしまった…。)
弥勒が、心の内で歯噛みする。それは、本来珊瑚が言う必要の無い言葉だった。
「何言っておるんじゃ、珊瑚!元はと言えば、間抜けな犬夜叉と弥勒の所為ではないか。」
七宝が、言い難いことをはっきりと、言った。
「ししし、七宝ちゃん!」
かごめが苦笑いをして、止めに入る。
「…今回は、七宝の言う通りだ…。」
犬夜叉が、不機嫌な顔をするものの、珍しく七宝の言葉に従う。
「その通りだ。我々が謝るのが先でしょう。」
本当は、今すぐ珊瑚を何処かへ連れ去り、抱き締めてしまいたかった。
無事であったことを、この腕で、確かめたいのに。
こんな、形式的なことしか、言えない。
別に、そんなことは気にしてないから。と、珊瑚は小さく呟いた。
そう言いながら。
一度も俺を、見てくれてねえじゃねえか…。
珊瑚の態度に疑問を持ち、彼女の姿を見つめる弥勒。
珊瑚は、何故か弥勒の顔が見られなかった。その腕には、五十鈴が居て、自分は、かくも汚れた姿を晒している。戦ったこの姿に、恥などは、無い。しかし。
弥勒が、自分の方を凝視しているのに、気付く。なんだかいたたまれなくなって、珊瑚は己の着物の襟元を、血塗れの痛む手で、掴んだ。振り向かなくても、彼の視線を感じて。
「失礼。」
弥勒が、優しく五十鈴の手を振り解くと、肩から包んだ袈裟を取り外しながら、珊瑚の方へ歩み寄る。え、と呟いた五十鈴の声には、答えない。
外した袈裟を、ばさり、と音を立てて珊瑚の背中から廻し、彼女の体の前で合わせた。
「え。」
珊瑚が驚いて声を上げるが、猶も、弥勒の方は見ない。
「昨晩から、この袈裟は珊瑚専用になってしまったな。」
優しい、何時ものゆったりとした口調でそう言うと、珊瑚の耳元に口を寄せ、続ける。
「おまえが肌を晒すのは、私と二人きりになった時だけにしておきなさい。」
「なっ…!」
他の者には聞こえぬような小さな声で囁いた弥勒に、珊瑚が真っ赤になって文句を告げようとする。
「やっと、私を見ましたな。」
にこり、と弥勒の微笑。
「!」
引っ掛かった。珊瑚はそう思った。思わず顔を上げてしまった自分の、負けだった。修行が足りん…。悔し過ぎるが、法師の何時もの笑顔が、自分だけに、今、向けられているのが嬉しくもあって。
がき。
彼女は無事な左足で、思い切り彼の足を、蹴った。