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©2001 minato



鍵を探してる



‐‐‐ 弐




夜が明けて、妖怪を退治する為の行動が開始された。珊瑚が、五十鈴の羽二重に着替え、五十鈴は自分で持って来ていた(この辺りが、裕福な女だ)艶やかな着物に袖を通す。しかし、華やいだ彼女よりも、弥勒の目を奪ったのは、珊瑚の姿だった。
真っ白な着物を着た彼女は、冒し難いほど美しかった。
(冗談でも、死装束なんか着せたくねえな…。)
「なに?法師さま。」
自分を凝視する弥勒の視線に気付き、珊瑚が訝しげに問う。
「いや、そのまま蒲団の上へ押し倒したい気分ですな。」
ばきょ。
珊瑚の鉄拳が、弥勒の頬を殴る。
(そうだ、何も死装束だと思うこたあない。夜着だと思えばいいんじゃねえか。)
殴られながらも、そんなことを考えている、不良法師。
「な、何をなさいます!珊瑚どの!法師どの、大丈夫ですか?」
五十鈴が、慌てて弥勒の腕を取る。支えるように。
「いーのよ、五十鈴さん。これくらい。」
「そうじゃ。殴られるのが判っていて言っておるのじゃ、こやつは。」
「あなたたち…。」
かごめと七宝の言葉に、弥勒が文句を言い掛けた時。
「行くよ。」
あっさりと、珊瑚が言った。洞穴の入り口へ向かう。
「じゃあ、かごめ。気を付けんだぞ。」
犬夜叉が、かごめを振り返って言う。かごめと五十鈴は、此処へ置いて行くことにしたのだ。
「うん。皆も、気を付けて。」
「待ちなさい、珊瑚。」
さっさと行ってしまった彼女を、弥勒が追う。
「七宝、雲母。お二人を頼みましたよ。」
一瞬踵を返し、弥勒が言った。
「こっちは良いから、珊瑚に置いて行かれるのではないぞ!」
七宝が、答えて言う。
珊瑚、犬夜叉、そして弥勒の三人が、森の奥へと消えて行った。
「…法師どのだけでも残って下さるかと思っていたのに…。」
その姿が見えなくなった頃、心細げに、五十鈴が呟く。
「珊瑚どのは、自分だけで大丈夫と言っていたではありませんか…。」
少々むっとしたが、声を荒げても仕方がない。努めて平生(へいぜい)に、かごめが言う。
「大丈夫よ。皆すぐ戻って来るわ。三人とも、強いんだから。」
この子は、自分のことだけ考えていれば、生きて来られたのね。
そう、かごめは理解することにした。
しかし、自分達は、違う。守りたいものが、ある。自分より、優先させてしまっても悔しくはない、大事な仲間が。
(この子には、説明しても、きっと判って貰えない。自分より、大事に思う人が居ることを。)
「弥勒は、珊瑚を守る為について行ったんじゃ!」
そこで、七宝が我慢し切れず、かごめの肩で声を上げた。
「し、七宝ちゃん?」
七宝は、何を言っているのだろう。まるで、弥勒が珊瑚を特別な思いで見ているとでも言いたげだ。もしかして、二人って、そうなの?あたしが気付かないだけで。子供の七宝の方が、勘が鋭いというのか?一瞬の間に、そこまで考える、かごめ。
「犬夜叉だってそうじゃ!どんな奴かもわからぬ妖怪では、誰が向かったとて、心配ではないか!」
かごめの考えは、外れだったようだ。
(なんだ。そういうことか。)
少しほっとしたが、なんだか残念な気もする。二人がそうなっても、結構嬉しいかも、などと思ってしまう。こんなことを珊瑚に言えば、こっぴどく怒られるだろうけど。
でも。
思い当たる節も、無いことも無いような…。
「…そうですね。皆さん、仲がおよろしい…。」
少し、寂しそうな表情で、七宝の苦言を五十鈴は受け止めていた。







森の奥へと進み、どれくらい経ったろう。五十鈴の言う方角へ、大分歩んで来たように感ぜられるが、未だ妖怪の出て来る気配は無い。
「どこまで行かせる気だ…。」
犬夜叉が、独り言のように呟く。
前を行く珊瑚から、大分距離を置いて、後を追う犬夜叉と弥勒。珊瑚を見失わぬよう、それでいて、近付き過ぎてもいけない。
「全く…。」
弥勒も、犬夜叉の意見に同意する。
(ざけんじゃねえぞ、妖怪の野郎。珊瑚に何時まであんな格好で歩かせる気だ。)
苛つきは隠せない。
その時、
「ん?」
来た。犬夜叉が、そう思った時だった。
珊瑚の眼前に、巨大な影が現れた。
「!」
珊瑚が身構える。
その視界に飛び込んで来たのは、以前に戦った、悟心鬼を思わせるような、体躯。
かなり大きい。そして、頭には、二本の角。どうやら、巨大な水牛の妖怪のようだ。
「おまえが…!」
珊瑚が、赤い肌をした水牛の目を見据えて言う。
「よう来た。娘。我が名は、赤蒜(あかひる)。おまえを喰ろうてやる、主じゃ。」
形容し難い、気分の悪い声音。低く、低く、響く。
「誰がおまえなどに!」
珊瑚が、胸に隠した短刀を抜く。
「無駄だ。そんなものは利かぬ。」
嘲るように、赤蒜が言う。
「散魂鉄爪!!」
その時。犬夜叉が珊瑚に追い付いて、赤蒜へ飛び掛かった。
「珊瑚!」
弥勒が、背中に負っていた飛来骨を、珊瑚へ投げ渡す。
彼女が弥勒から飛来骨を受け取った瞬間。
犬夜叉の爪には、確かに手応えがあった。その肉隗を、引き裂いた。
…筈だった。
「!?」
「わはははは、利かぬわ。そのような、爪如き!」
赤蒜には、なんの打撃も加えられていないのだ。その胸に、ほんのちいさなかすり傷が、見えるだけである。
「何!?」
「飛来骨!!」
珊瑚が、飛来骨を振るう。白い塊は、唸りを上げて赤蒜へ向かって行く。そして、彼奴の胸の辺りへ轟音と共に命中した。一刀両断にすることは出来なかったが、赤蒜の巨大な体が後ろへ押される。しかし、それだけだった。その胸からは、血が出る所か、皮さえ捲れていない。
「なんなの!?」
「仲間を呼んでも無駄なこと!娘は貰って行く!」
赤蒜が珊瑚の体を掴もうとするが、珊瑚は、素早い動きで身をかわし、赤蒜の手を潜り抜ける。
「珊瑚、犬夜叉!下がりなさい!」
「!」
弥勒のその声を合図に、赤蒜から、ば、と離れる二人。
「風穴!」
法師が、その右腕の封印の数珠を解き、手の平を赤蒜にかざす。
すると、怒号のような風が巻き起こり、赤蒜の巨躯さえも、引き摺り込もうとする。
「な、何!?こ、これは…!」
赤蒜が飲み込まれようとする、正にその時。
一行は、もう一つの妖気に気付いていなかった。目の前の、赤蒜の存在に精神が集中していた。
「!?」
背後から、妖気。
弥勒が気付いた時には、既に彼の体は横殴りに薙ぎ放たれていた。
「法師さま!?」
「弥勒!!」
地面に叩きつけられた弥勒は、苦しくて、息をするのもままならない。赤蒜を仕留められる(すんで)の所で邪魔が入った。
「助かったぞ、青蒜。」
「人間如きに、何を手間取っている。」
其処には、赤蒜と全く同じ姿をし、肌が赤から青に変わった妖怪が、仁王立ちしていた。
「に、二匹、居やがったの、か…。」
弥勒が、苦しい息の下から、呟く。
己の不覚である。眼前の敵に気を取られ、妖気を読めずに後ろを取られるとは。
「けっ、二匹だろうが三匹だろうが、同じこと!」
犬夜叉が、鉄砕牙を抜く。
「ほう、半妖か。面白い、我らに、敵うと思うてか。」
青蒜が、そう言った後、珊瑚に目を留めた。
「ほほ~。これはこれは。近年稀に見る、上玉ではないか。」
「そうなのだ、青蒜。この美しさ、気に入ったであろう。」
水牛二頭が、珊瑚を値踏みするような目で眺め、舌舐め擦りをしてみせた。
ぞっとした。気持ちが悪い。こんな奴に、大人しく喰らわれて堪るものか。
「くっ!」
妖怪の下衆な様子に吐き気を覚えながら、弥勒が、体を起こして珊瑚の元へ駆けて行く。
それを邪魔するかのように、青蒜が立ち塞がった。
「娘の傍に、寄れると思うてか。」
にたり、と口端を上げる。
「生憎と、その娘をおまえ達にくれてやる訳にはいかんのだ。」
封印の数珠を巻き直した右手に錫杖を構え、弥勒の両の目が青蒜を睨み返す。
「でやあああっ!」
その脇で、犬夜叉が赤蒜に切り掛かった。しかし、やはり、傷は付けられない。
「このようなもの、痛くも痒くもないわ!」
そう言って、赤蒜がその太い腕で犬夜叉の体を叩きのめす。
「ぐっ!」
犬夜叉の口端が切れ、血が滲む。その体は背後の大木の幹に叩き付けられていた。
「犬夜叉!」
珊瑚が叫んで、赤蒜に飛来骨を飛ばす。が、やはり跳ね返される。
それぞれが立つ位置を慮って、風穴は開けない。弥勒が犬夜叉の方に気を取られた瞬間、青蒜の右腕が飛んで来た。
「ちっ!!」
危ないところで錫杖でそれを受け止めるが、その怪力に体毎飛ばされる。
「法師さま!」
「!来るな、珊瑚!!」
地面を蹴って、珊瑚が刀を抜いたのが弥勒の目に映った。
刀を逆手に持ち、全体重を載せて青蒜の右腕へ切っ先を刺し入れる、珊瑚。
手応えは、あった。
なのに。
「わはは、無駄じゃ無駄じゃ!」
なんで!?
地面へと着地した珊瑚の目には、確かに、青蒜の腕に己が刀が刺さっているのが確認出来た。しかし、血の一滴たりとも流れてはおらず、奴は自分で刀を腕から抜いた。
「珊瑚!」
その間、ほんの、一瞬。
珊瑚が着地したのとほぼ同時、赤蒜の腕が珊瑚の体を掴んで軽々と掬い上げた。
(しま…っ)
そう、彼女が思った時には遅かった。
「捕まえたぞ、娘。ちょろちょろと、動き回りおって!」
勝ち誇ったように、赤蒜が笑う。
「ちくしょう…っ、放せっ!」
まるきり、動ける状態ではなかった。握り潰されるかと思うほどの力に、気が遠くなる。
「珊瑚!」
犬夜叉が、再び赤蒜に切り掛かるが、
「無駄だと言うに。」
何の影響も与えられない。
(あまつさ)え、彼奴等の怪力の餌食になってしまう。
「珊瑚!」
弥勒が、悲痛な叫び声を上げる。
「ほう、し…。」
珊瑚の意識は、其処で途絶えた。
「赤蒜、あまり力を入れるな。失神してしまったではないか。」
「おお。(ねぐら)に帰るまで、生かしておかねばな。」
「勝手なこと言ってんじゃねえーっ!!」
怒りを顕わにした形相で、弥勒が、胸元から札を引き出した。そしてそれを赤蒜に投げつける。かと思うと、錫杖を捨て、両腕を空にした。
「臨。」
その指で、九字を切り始める。
「兵、闘、者、…」
「こやつ、護法を使うか!無駄だと言うに。」
それでも。動きを封じるくらいは可能かも知れぬ。
赤蒜の左腕が、破魔の力に焼けた。しかし、本来与えられる筈の威力は、やはり、無い。弥勒が九字を切り終わる前に、両の妖怪が、背中から黒く骨張った羽根を出し、空高く舞い上がる。
「な、何!?」
犬夜叉が、傷ついた体を起こして、宙を仰ぐ。
「しまった…!」
空を飛べたとは。法力が及ぶ前に、赤蒜達は、言霊が届かぬ所まで飛び去ってしまっていた。
「珊瑚!!」
弥勒が空を仰いでその名を呼んだ時には、既に彼等の姿は、其処に、無かった。







「珊瑚ちゃんが!?」
かごめが、息を切らして戻って来た犬夜叉と弥勒の話を聞き、声を上げた。
「おぬしら、二人揃って何をしていたんじゃあ!!」
七宝が、二人を責めた。その非難に、犬夜叉と弥勒は言葉が無い。
「七宝ちゃん。」
七宝の気持ちは、判る。しかし、二人の気持ちも判る。己が眼前で仲間を攫われ、どれほど心が穏やかではないか。
自分の、不覚である。己がついていながら、みすみす珊瑚を妖怪共に、渡してしまうとは。口惜しくて、堪らない。自分の非力さが、憎い。
弥勒は、自分自身を罵っていた。
「かごめさま、危険は承知の上ですが、お願い出来ますか。」
弥勒が、普段と変わらぬ口調で言う。しかし、語気が、強い。
「当たり前じゃない!勿論よ!」
犬夜叉と弥勒が戻って来たのは、かごめと、雲母の力を借りる為。
あの赤蒜・青蒜に、どのような攻撃が有効なのか未だ見当がつかない。今出来ることで残されているのは、かごめの矢を使うことのみであった。
利くかどうかは判らない。それでも、試してみるしかないのだ、今は。
そして、肝心の妖怪共の居場所。空を飛んで逃げた為、犬夜叉の嗅覚では辿ることが出来ずに。
此処は、雲母の出番だと踏んで、直ぐにでも追い掛けたい気持ちを必死に抑え、引き返して来た。雲母なら、その主人の居場所を正確に、選び出してくれる筈だ。
「急ごう!」
かごめが、弓矢を持って立ち上がる。珊瑚を心配なのは、自分とて同じ。大切な、仲間。この時代で、たった一人自分に出来た、親友。死なせたりするものか。
「あ、あのう、わたくしは…。」
其処で、事態を見守っていた五十鈴が口を挟んだ。
「もう、てめえは心配ねえから、家へ戻んな。」
犬夜叉が、苛つきを隠せずに、言う。
「ひ、一人で?送っては下さいませんのか…?」
ぴき。
犬夜叉の堪忍袋の緒が切れた。
「あのなあっ!今話聞いてて、流れ読めよ!!」
「い、犬夜叉…。」
かごめがなだめようとする。気持ちは彼と同じなのだが…。
犬夜叉を制し、口を開いたのは弥勒だった。
「五十鈴さま。お聞ききの通り、状況が悪化しております。今、あなたを町へ送り届けることは叶いません。申し訳ありませんが、お一人で町へお戻り下され。危険はありますまい。」
足を滑らせるとか、道に迷うとか、そういう危険はあるかも知れない。しかし、此処まで一人で来たのだ。日も高い。何とかなる。
何時もなら、女好きの弥勒のこと。もっと優しい方法を導き出すことも可能だったろう。
いや、これでも充分優しいのだが、ほんの少し、口調が違う。余裕が無い、と言うのだろうか。そんな感じが見て取れる。
「ならば、終わった後なら、送って頂けるのですね?それなら、わたくしも一緒に参ります。」
「…!」
今度は、流石にかごめも呆気に取られる。本当に、判っているのか?今の状況を。
犬夜叉と七宝が、抗議の声を上げるより早く。
「判りました。では、参りましょう。雲母、頼む。」
弥勒が、あっさりと答える。このまま問答を続けている時間も勿体無い、と言わんばかりに早口で、雲母を促す。
言い争っている時間は、無い。犬夜叉達も、弥勒の意図を理解した。
雪白の体躯に弥勒と五十鈴、七宝を乗せ、雲母が風の唸り声を上げ、飛び立つ。
その雲母を見失わぬよう、かごめを背負った犬夜叉が、地を駆ける。
無事でいてくれ、と願いを抱いて。