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©2001 minato



求める未来(あした)が変わった



‐‐‐ 後




「ちょっと、外の空気吸って来る。」
先程御影と別れた直ぐ傍に見つけた洞穴で、一行は夕餉を摂っていた。が、それには殆ど口を付けずに、珊瑚が立ち上がる。
「あまり、遠くへ行くのではありませんよ。」
弥勒が、優しく彼女へ注意を促す。
「うん。判ってる。」
誰の方も見ずにそう答え、彼女は洞穴を出て行った。
「…珊瑚、まさか里へ帰ってしまうつもりではないじゃろな。」
珊瑚の背中を見送りながら、七宝が心配げな声を上げる。
「あいつが、奈落を倒すことを諦める筈は、ねえ。絶対にな。」
焼いた獣の肉の欠片を頬張りつつ、犬夜叉が、自信を持って言った。
「そうじゃろか。珊瑚、おら達と一緒に居てくれるじゃろうか。」
猶も不安げなことを口走る子狐の頭を、かごめが優しく撫でながら、言う。
「大丈夫よ。七宝ちゃん。珊瑚ちゃんは、何処にも行かない。」
自分に、言い聞かせるように。
「何故珊瑚は、御影に奈落のことを言わんのじゃ。それを教えてやれば、連れ帰ろうとはせんじゃろうに。」
疑問を口にする、七宝。
「珊瑚ちゃんは…御影さんを巻き込みたくないのね、きっと。」
かごめが、静かにそう答えた。
「ったく、あいつは、馬鹿だ。なんでもかんでも一人で背負い込もうとする。」
犬夜叉が、吐き捨てるように言う。その言葉を聞き、かごめが、あんたもでしょうに…と、心中で一人ごちる。
「いずれにせよ、決めるのは珊瑚自身です。」
目を瞑ったまま、弥勒が言った。







暫く経っても戻らない珊瑚を心配していたかごめ達だったが、今夜は一人にしておいてあげようと、自分達は眠ることにした。
風の音が、洞穴にも響く。まるで、人の泣き声のように、冷たく。
その音に誘われるように、弥勒は洞穴を抜け出した。かごめ達は既に小さな寝息を立てているが、珊瑚は未だ戻らない。その姿を求め、弥勒は歩を進める。
少し行ったところに、腰を下ろしている珊瑚の背中が見えた。身動ぎもせず、静かに座っている。
「…珊瑚。」
後ろから、小さな声で彼女の名を呼んだ。
「法師さま。」
振り返った彼女は暗い顔をしていたが、泣いていないだけ、弥勒は安堵する。
「…答は、決まりましたか。」
静かに問うて、珊瑚の脇に自分も腰を下ろした。
「答なんか…初めから、決まっている。」
前を向き直り、珊瑚が澱み無く答えた。
「あたしは、里へは戻らない。奈落を討つ。それ以外、明日を迎える意味なんか、無いから。」
ぽつぽつと、珊瑚が言葉を紡ぐ。その響きは、先程の風のように冷たくて、悲しい。
「御影どのには、伝えぬまま…?」
弥勒が問う。
「…御影は、知らない方がいい。こんな思いをするのは…あたし一人で充分だ。」
どうしようもない、憎悪、後悔…復讐心。そんなものに支配される者は、少ない方が良いに決まっている。故に、御影に奈落のことは告げない。彼までも、この負の感情に苛まれる必要は無いのだ。
「…そうか。それ以外に、明日の意味は無い、か。」
珊瑚の言葉を、弥勒が繰り返す。明日の、意味。自分には、その 『明日』さえ毎日変わらず訪れるとは、限らないけれど。戦いにしか意味を見出せないというこの年若い娘を、ほんの少し、淋しく思う。
弥勒の呟きを聞き、珊瑚は思わず言っていた。
「法師さまは、…どうして強くいられるの。」
「…私が、強く見えますか。」
微笑しながら、彼が珊瑚の方を見遣って、言う。その向けられた笑顔に、彼女の心はどきり、と波打つ。
「実際、そうだろ。」
短く、珊瑚が答える。
答など決まっている、と強く言い放ってみたものの、里への思い、仲間への懐かしさは、間違いなく珊瑚の心を迷わせていた。揺るぎ無く掲げて来た、己の達すべきこと。それを、放り出すつもりはないけれど。…それでも。迷いの欠片は、小さき棘となり己が胸をきりきりと、刺す。
なんと か弱き、この、精神(こころ) ――― 。
なれど、この(ひと)は。
命の明日が見えぬこの法師の、強さ。誰にも弱き背中を見せぬことへの憧れ。己もそうありたいと願いながら、到底及ばなくて。
「…そう見えるのだとしたら。」
弥勒が前を向き直る。と、珊瑚の地に置いた右手に、暖かいものが被さり。
「私には、明日を一緒に迎えたい人が居るからかもしれませんな。」
彼のその行動に、爪先から頭の先まで、かあっと血が駆け上がるのを自覚した珊瑚は、条件反射で弥勒の手を払い、その腕を思いきり叩いた。
「どさくさに紛れて、何触ってんの!」
「おや、いけませんか。」
「当たり前だ!馬鹿!」
しれっとして言う法師へ怒鳴った娘の顔は、闇の中でも判るほど赤く、火照っている。
その彼女の様子に、さも満足げに弥勒が言う。
「珊瑚は、威勢の良いのが一番です。」
またも、自分に向けられる、笑顔。
その弥勒の顔を見て、違う、と思った。
あたしは、奈落を倒す以外に生きる意味など無いと思っていた。でも、それは、違う。いや、違って来ている。欲しいものが、ある。手に入れたいものが、出来た。
この人の、明日。
無いかもしれない明日を、この人に、与えたい。この人が居ない明日に、意味は無いのだ。
例え、奈落を討ち果たしても。
それだけでは、満足し得ない己が居る。
そう思った珊瑚は、自分でも知らぬうちに呟いた。
「…明日の意味は、もっと、他にもあるのかも知れない…。」
その彼女の言葉を聞いて、弥勒が安堵したように、思う。
戦うだけの女には、俺が、絶対にさせねえ、と。







陽が昇ると、約束通り、御影はやって来た。昨日の装束とは違い、着物を纏った一般人と変わらぬ旅姿である。その御影と、珊瑚は話をする為に弥勒達一行から離れた。
「珊瑚。里へ、帰ろう。」
里の仲間の言葉が、昨日と変わらず珊瑚へ降り注ぐ。しかし彼女には、既に迷いは無い。
「御影。あたしは、里へは戻らない。何時か、帰る日が来るのかもしれないけど、今は未だその時ではないんだ。」
静かに、珊瑚が御影の申し出を断る。
「何故だ。」
猶も食い下がる彼へ、奈落のことは、やはり告げずに。
「今は…あの連中と、一緒に居たい。…共に、旅をしていたい。」
正直な気持ちだった。離れたくない。今一緒に居たいのは…あの人。
「おまえは、寂しいだけなんだ。だから、俺がもうそんな思いは」
「違うよ、御影。」
彼の言葉を遮って、珊瑚が断言する。
「俺が…、ずっと俺が傍に居れば、おまえをこんな風に変えはしなかったのに…!」
あの大事があった時に、珊瑚の傍に居なかった自分自身を悔やむ。
死んだと思っていた、愛しい女。それが、生きて自分の前に姿を現した。その喜びは、珊瑚には想像もつかない。どれだけ御影が自分を女として見ていたか、彼女は、気付かない。
そしてその女は、自分とは行かない、と言う。それだけで、御影の心の(たが)を外すのには、充分だった。
抑えていた想いが、溢れ、零れ出す。
「御影…。」
流石に心が痛んで、珊瑚が御影の顔を覗き込む。その彼女の両腕を、御影の腕が強く掴んで己が胸へと引き寄せた。
「!」
驚いた珊瑚が、御影の顔を見上げた所へ、彼の頬が接近して来るのに気付く。
「何を…!」
そう言って慌てて顔を背けた珊瑚だったが、その拍子に体の均衡を崩し、御影に倒されるように、地面へと背中を打つ。
「御影、放せ!」
彼の体を押し戻そうと試みるが、掴まれた両腕は、びくともしない。
「俺が、どんなにおまえが欲しかったか、判るか!?珊瑚!」
「な」
御影の、切迫した瞳。この男の求めるものは…あたし。戦いに殉じようとするこのあたしが、この人の欲しい 『明日』なのか。
こんなにも、手に掴みたいものが、違う。
「や、めろ。」
珊瑚が、自分の体へ覆い被さった御影から、視線を外して低く呟く。
「珊瑚。このままおまえを攫って行く。」
やめろ。そんなことをしたって、あたし達は幸せになどなれない。
そう言おうとするものの、組み敷かれた体は動かすことも出来ず、その力に慄いた唇は、言葉を発することも叶わなかった。
自分は女なのだと、一瞬のうちに理解し、恐怖に取って代わる。
「や…やめ」
ようやく絞り出した声は、小さくて。
押さえつけられた手に、力を込め、握り締める。そして、その時浮かんだ、顔。その人の名を、何時の間にか、呼んでいた。
「法師さま…!」
その時、しゃらり、と聞き覚えのある金属音が、珊瑚の頭の上で、鳴った。
「手を、離しなさい。」
低い、怒りを押し留めたような、声。
其処に立っていたのは、法衣姿の男。
驚いて、珊瑚が彼の顔を見上げる。御影に向けられた横顔を。言葉は、出て来ない。
その男は、珊瑚と御影の体の隙間…御影の顎の先に、錫杖の切っ先を突き付けて、御影を、睨み下ろしていた。
弥勒の錫杖に促されるように珊瑚から体を離し、立ち上がる御影。
「これ以上、珊瑚の傷を増やさんでやって欲しいのだが。」
弥勒が、表情を変えずに御影へ言う。
御影は、法師に庇われるようにその背後で地に座ったままの珊瑚を視界に宿し、彼女の顔を確かめる。
其処にあったのは、怯えたように、憂える顔。何かを失ってしまった、と彼は悟る。
俺は、一体何をした?昨日から珊瑚の傷を広げることばかりを…己の我欲だけを押し付けようとして。
「…すまない、珊瑚。」
目を伏せたまま、娘へ謝罪する。謝っても、もはや取り返しはつかないと、判っていた。
珊瑚は、何も答えない。声が、出ない。俯くことしか出来なかった。
「俺は、もう行くよ。里を復興させることだけは…遣り遂げるつもりだ。おまえが、何時か帰って来てもいいように…。」
御影の、言葉。それは、悲しい決意に満ちて。珊瑚が己の腕の中へ帰って来る日など、ありはしないと判っていて。
「法師どの。」
弥勒を見遣り、御影が言う。
「珊瑚を、頼む。」
「…心得ました。」
短い会話を交わし、退治屋の男は二人に背を向けて歩き出した。
「御影!」
立ち上がった珊瑚が、呼ぶ。
これまで、幾百、幾千と口にして来た、懐かしい、同胞(はらから)の名を。
「…元気で。」
それだけ、続ける。
御影は、笑ったように、見えた。







「珊瑚。大丈夫か?」
弥勒の声で、我に返る。何も言わずに、暫し立ち竦んでいたらしい。
「ああ、うん。ごめん。」
弥勒は、やれやれ、と珊瑚の着物についた土を、ぱたぱたと払ってやっている。
「だ、大丈夫だって!」
恥ずかしくなり、珊瑚が言う。助けて貰ったものの、あの姿を、法師に見られた。何も抵抗出来なかった、力の弱い女の自分を。
そう思った瞬間、彼女の頬に、つう、と涙が一筋流れた。
「あ、あれ?」
自分でも驚き、ぱっ、と左手で己が顔を隠す。
「大丈夫では、ないではないか。」
遅かった。弥勒に、しっかり見咎められてしまった。
弥勒は珊瑚へ手を伸ばし、その頭へ、ぽんぽん、と柔らかく手を置く。何も、言わないまま。
「…ちょっと、貸して。」
「はい?」
何を、と弥勒が思った瞬間。彼女の頭が、自分の肩の下辺りへ倒れ込んで来る。
珊瑚は、そのまま、泣いた。声も立てず、ただ、落涙した。
己の非力さ。昔の仲間との、再びの別れ。思い出される、里のこと。そして、自分の危機を救ってくれた法師のこと。
全てが、珊瑚の心の内で綯い交ぜになり、涙を形作っていく。
無言のまま、弥勒は珊瑚の背中へそっと片腕を廻す。暫し、彼女の涙に付き合って。
以前にも、こんな風に法師の肩を借りて泣いたことがあった。あれは、何時だったろう…?
そんなことを脳裏に浮かべながら、珊瑚は、ふとあるところへ思い当たる。
「法師さま、なんで此処に居んの?」
「え。それは。」
「もしかして、覗き見してたの?」
顔を上げた彼女が、白い目で弥勒の顔を見遣る。正確には、泣き濡れて真っ赤な目、だ。
「いや~。丁度良かったですなあ。」
にへら、と笑って、とぼけたことを言う。
「この、馬鹿法師!」
勢い、弥勒の胸を突き飛ばし、元来た道を戻って行く珊瑚。
(心配して、来てくれたの?)
そうは思ったが、無論、口には出さない。
弥勒は弥勒で、気になって仕方がなかったのだ。昨夜、珊瑚の答は決まっていると聞いていた。しかし、今朝やって来た御影の目は、なんだか酷く弥勒を不安にさせて。とても二人きりにさせてはおけぬ、と思い、少しばかり逡巡した後、二人を追うことに決めたのだった。
(俺もまだやってないこと、先にやってくれやがって。)
己の予想が当たってしまい、苦々しく思う。
それでも。
(間に合って、良かった。)
ほぅ、と安堵の息を洩らす。前を行く珊瑚は、勿論そんな弥勒の様子には気付かない。







「珊瑚ちゃん。」
心配して待っていたかごめが、戻った珊瑚へ、声を掛ける。
「待たせてごめん。じゃ、行こうか。」
荷を持ち上げ、珊瑚が何も無かったように、言う。
「良いのじゃな、珊瑚!」
七宝が、嬉しそうに彼女の肩へ飛び乗った。
「ああ。」
「いいの?里の、仲間のこと…。」
かごめが、恐る恐る、問う。珊瑚が一緒に来てくれるのは嬉しいが、彼女の心に思いを巡らせる。
里の、復興。それは、確かに取るべき道の一つではあった。しかし、今の己が望むこととは若干の違いがある。
里を生き返らせる為には、一度、その悪夢の源となったものを…全てを、無に還さねば ――― 。
先に、成し遂げねばならぬことが、あたしにはある。
「うん。いいんだ。…欲しいものが、もう、違うから。」
「?」
珊瑚の言葉に、かごめが不思議そうな顔をする。そんな彼女を見て、何やらほっとする、珊瑚。
「もたもたしてねえで、行くぞっ。」
例の如く、面倒臭そうに吐き捨てる、犬夜叉。
何時からか、この顔ぶれは、自分を安心させる。そう思い、追いついて来た弥勒の方を見遣った珊瑚の視線が、彼のそれとぶつかった。
相変わらず、にっこりと微笑み返してくる法師に、また安心して。
(欲しいものが変わっても、あたしは、あたしだ。)
そう心の内で呟いて。
歩き出す。
欲しい明日を、手に入れる為に。










B.G.M. <求める未来が変わった> Maki Ohguro


出ました許婚ネタ。オリキャラ暴走。やっぱり法師にも妬いて頂かないと、不公平でしょ。
名前については、珊瑚、琥珀、雲母、と来たら、もう"御影"しかないかな、と安易な発想。色々石(?)ネタは考えたのですが。瑪瑙とか。しかし、男名として音の響き的に御影に勝てるものがありませんでした。
里の復興の件は、珊瑚嬢なら本当はもっと悩むかとも思うのですが、やはり奈落を討つ(琥珀奪還含む)、という最大にして最終目標を優先させちゃいました。その後彼女がどんな道へ進むかは判りませんけども。
ところで今回の珊瑚嬢、ちょっと弱過ぎでしょうか。女・女してるというか…。本来なら、ラスト、御影を思い切り蹴り飛ばしてボコボコにしちゃいそうな気もします。
何はともあれ、最後まで読んで下さって有り難うございました。

2001.07.04