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©2001 minato



求める未来(あした)が変わった



‐‐‐ 前




「ほんと!?犬夜叉。」
「ああ。仕様がねえだろ。」
「ありがとう!」
かごめの嬉しそうな声と、犬夜叉の面倒臭そうな声が、交錯する。
今は、山越えの最中。川のほとりで、一行は暫しの休息中だった。
昨日、故郷から帰って来たばかりのかごめだったが、『模試』 の為三日後にはまた戻らなければならないと言う。その彼女を、犬夜叉が井戸まで送ってくれると言うのだ。
提案したのは、かごめだった。やっと会えたというのに、また直ぐに離ればなれ。少しでも一緒に居たくて、断られるのを承知で言ってみたのだが、あっさり犬夜叉が同意してくれたのだった。気持ちは、彼もかごめと一緒らしい。勿論、そんな素振りは見せないが…此処に居る誰もが、判っている。
さっきまで沈んだ表情だったかごめの顔が、目に見えて明るくなる。
「かごめちゃんて、素直だよね。」
「えっ、そ、そうかな。」
そんなかごめの様子を見て、石の上に腰を下ろした珊瑚が言った。かごめは、照れたように頬を染めて答える。
「うん。可愛い。犬夜叉でなくても、惚れるのが、判る。」
「な…っ、何言ってんでいっ。珊瑚!」
珊瑚の言葉に、真っ赤になって声を荒げるのは、その犬夜叉。
「まこと、かごめさまは良い嫁御になられるでしょう。」
弥勒までが、犬夜叉とかごめへのからかいに参加する。にっこりと笑って、平然と。
赤くなったかごめが、やめてよ、もう、と言うより早く。
「ちょっと。それって、あたしみたいに可愛くない女は、嫁の貰い手が無い、って言いたいわけ?」
珊瑚が、ぎろりと弥勒を見返って言う。
「誰もそのようなこと、言っておらんでしょーが。」
「別に、嫁になんか行かないから、いいけどさ。」
睨んだものの、興味も無さそうに、あっさりと返事をした。
昔は。父も母も健在で、里もまだ其処に有った頃は。自分も両親のように誰かと祝言を挙げ、そして子を産み、その子を退治屋として修行させて…というようなことを漠然と思ったことは、ある。しかし、状況が変わった。波が一気に押し寄せるように、あっという間に。
未来など、無い。今、望むものは、奈落を討ち果たすことのみ。その向こうの時など、想像するのも難しくなっていた。
(そんな先の事は、要らない。奈落を討てれば…それだけしか、今望むことは、無い。)
珊瑚の言葉を受け、弥勒が何か言い掛ける。
「その時は、おらが珊瑚を嫁に貰うてやる!」
「七宝。」
子狐が、珊瑚の膝に飛び乗り、大真面目な顔で言った。弥勒の言葉は、呑み込まれる。
「有り難いけど、七宝が大人に成る頃は、あたしはもうおばさんだ。」
苦笑いを湛えて、珊瑚が七宝へ言葉を降らせる。
「珊瑚なら、年を取っても美しいに決まっておる!」
(このガキ、何処でそんな口説き文句憶えて来やがった…。)
弥勒の心の内には、無論、誰も気付かない。
ふふふ、と娘が笑って、子狐へ答える。
「そうか。じゃあ、そん時は宜しく頼むよ。有り難う、七宝。」
「任せておくのじゃ!」
満足そうに胸を張って言う七宝を、珊瑚が抱き上げる。二人は、視線を合わせながら笑っている。
(く、くそガキがあああっ。)
腸の煮えくり返る思いでいる弥勒を見透かした訳ではないが、
「けっ、ませガキがっ。」
と、犬夜叉が悪態を吐く。しかし、自分達の話題から逸れたことには胸を撫で下ろしていた。
その時。
「!」
「…感じたか?」
「結構、近い…?」
犬夜叉、弥勒、珊瑚が、表情を変えて視線を絡ませる。
「何?」
かごめと七宝が、訳が判らず三人を順番に見遣る。
「妖怪の気配だ。」
鉄砕牙を握り締めた犬夜叉が腰を上げる。
「行ってみますか。」
弥勒が問う。これだけ近いのなら、無視することは出来ないだろう。
「勿論!」
犬夜叉ではなく、かごめが答える。何事に関しても、放っておけない性格である。
一行は荷をまとめ、再び山中へ足を踏み入れた。







木々が、ざわめいている。
「誰か、戦っているのか?」
弥勒が、独り言のように呟く。其処へ。
か、か、かっ!
「うわ!?」
犬夜叉が、身をかわす。その背後の樹木の幹へ突き刺さっている、三本の、苦無。
「やっぱり…。」
前方から飛んで来た、武具。誰かが、妖怪を相手にしている証拠だった。
(これ…!?)
その苦無を捉えた珊瑚の目が、変わる。刺さった苦無の一本を抜き取り、凝視する。其処へ施された細工。この紋様は。
「珊瑚、その苦無がどうかしま」
弥勒が言い終わらないうちに、彼女が、呼ぶ。
「雲母!」
風を切る音と共に変化した動物へ跨り、珊瑚は苦無の飛んで来た方向へ、突き進む。
「珊瑚ちゃん!?」
急な彼女の行動に一同が驚き、慌てて彼女を追った。
(これは…まさか…。)
珊瑚の視界。木々の合間から、人の姿が見える。こちらに背を向け、その向こうには、今しがた倒されたばかりと見える、化け熊。
人の気配に気付き、その人間が振り返った、と同時。
御影(みかげ)!」
「さ…、珊瑚!?」
二人の男女が、お互いの名を呼び合う。
そして、珊瑚の背中に追い付いた一行が見たのは。
男が駆け寄り、女の体を抱き締める、姿。
「生きていたのか!?本当に…珊瑚、か!?」
珊瑚の体を胸に抱いたまま、みかげ、と呼ばれた男が、己が腕の中の女に問うた。
「本物だよ。あたし、生きてるよ。」
珊瑚が、答える。
普段の珊瑚からは、考えられない光景だった。こんな風に男に触れられたなら、殴り飛ばしている筈。それが、犬夜叉達一同の、彼女への印象。しかし、今その珊瑚は、男の背中を抱き締め返していた。
「知り合いみたいだね…。」
かごめが、そっと言う。男の着ている装束は、珊瑚と同じ、退治屋のもの。それだけで昔馴染みであろうということが、容易に想像出来た。
「良かった…。俺は、おまえも、死んだものだと…。」
その言葉には、珊瑚は答えない。なんと答えたら良いのか、判らずに。
何時まで経っても珊瑚の体を離そうとしない男に、内心苛立って、弥勒が口を挟む。
「お取り込み中すまんが…珊瑚。状況を説明してくれますか。」
努めて、平静を装いながら言う。
その時初めて、弥勒達が見ていることを思い出す、珊瑚。慌てて男の体を押し戻し、背後の仲間達を振り返った。
「ごめん。この人は、里の…退治屋仲間で、」
「失礼した。珊瑚のお連れの方達か?俺は、御影と申す者。珊瑚の、許婚だ。」
「い、いいなずけ!?」
珊瑚を除き、其処に居た全員が驚いて、御影の言った言葉尻を繰り返す。
「…御影。それは、とっくの昔に無効に成ってることだろう。」
珊瑚が、御影の言葉を否定するように、言う。
「俺は、無効にした憶えは、ない。」
男が、隣に立つ女の肩を抱いて言い放つ。
「もう…。」
ふー、と溜め息を吐いて、珊瑚が彼の腕を優しく払った。
なんなんだ、一体、どういうことなんだ、と混乱する犬夜叉達。
(許婚だと?そんな話、聞いちゃいねえぞ。)
法師が、心の中に嵐を抱えていた。







陽が、暮れ掛けていた。
適当な岩場を見つけ、御影を含んだ一行は、其処へ腰を落ち着かせる。
御影の話しに因ると、この山の北の裾野にある村に立ち寄った所、山中に出る化け熊退治の依頼を請け負ったということだった。
「でも、退治屋の里の人達は、全滅したんじゃ…?」
かごめが、遠慮がちに疑問を投げ掛ける。
「丁度、あの頃御影は、駿河の方で退治の依頼があったから、旅に出てたんだ。」
珊瑚が説明する。
そうやって、遠方へ退治に出ている者が、あと何人か居るのだという。
その旅から御影が戻ってみると、荒れ果てた、里の姿。誰一人として動く者は無く、累々と横たわる、墓の数々。
「妖怪に、総攻撃を喰らったと噂で聞いた。墓を掘り返して見る訳にもいかず、俺は、おまえも死んだものとばかり思っていた…。」
隣に座った珊瑚を見遣り、御影が言う。年の頃は珊瑚より少し上か。その瞳は優しく、そして、熱い。
肩をいくらか通り越した不揃いな長髪が、風の吹くままに、ばさりばさりと揺れる。長身にして、痩躯。しかし、弱々しい雰囲気は全く見受けられなかった。これまで踏んで来た場数がそうさせるのか。夏も未だだというのに、陽に焼けた肌をしたその男は、"退治屋"という荒くれ者の看板を背負うに相応しい姿をしている。
そんな男の様子を見て、弥勒は、黙ったままでいた。この男の…御影の珊瑚に対する恋慕は、本物だ、と確信して。
「珊瑚。俺と共に、里へ戻ろう。行く場所がないから、この御仁達と旅をしているんだろ?だったら、もうその必要は無い。里で、祝言を挙げよう。」
「はあ?」
珊瑚が、目を丸くして御影を見る。何を唐突に言うのだろうか。祝言?なんでよ。
「ちょっと待て!許婚と言うのは、本当なのか、珊瑚!?」
にわか夫(気分)の七宝が、御影の言葉を遮って、問う。
「だから違うんだって。あたしと御影の婆様同士の仲が良くて、酒の肴に遊び半分で勝手に決められたんだよ。まだ、あたしが六つの頃の話だ。」
珊瑚が、やれやれ、と言った風情で説明する。
「それも、婆様達がそれぞれ亡くなって消滅してる。元々誰も本気になんかしてやしなかったんだから。」
「そ、そうか!なんじゃ。そうか。」
七宝が、安堵したように繰り返した。
「ふ~ん、なるほどねえ。」
この時代には、こういうこともよくあるんだろうな、とかごめは思う。
弥勒も心の中で、胸を撫で下ろした。しかし。
「俺は、婆様達に言われる前から、おまえを嫁にすると決めていた。」
「決めてた、って、御影…。」
そう言われても。自分にとって、御影は仲間以外の…年上の幼馴染み以外の、何者でもない。
またしても、弥勒の心がざわり、と騒ぐ。
「遠方へ退治に出ている奴等も、いずれ、里へ戻る。珊瑚、俺と祝言を挙げて、奴等と里を復興させよう。里を…あんな風に、終わらせたくないんだ。」
御影の言葉に、珊瑚の心がわし掴みにされた。
『あんな風に、終わらせたくない』
その一節が、どうしようもなく、珊瑚の胸に響く。各地に散らばった残る仲間を集め、里を復興させる。珊瑚には、考えも及ばぬことだった。
それは、奈落がいたから。
里を葬られ、心に浮かんだ感情は、復讐。その二文字のみ。留まることなど考える暇も無く、奈落を討つ旅へと、身を委ねた。それは彼女にしてみれば、川の流れと同じくらい、当たり前の真っ直ぐな成り行きだったから。
「珊瑚?」
黙ってしまった珊瑚を、御影が呼ぶ。
はっとして、彼女が顔を上げる。その視線は、何故か、法師を捜していた。
その弥勒と、ぱちり、と目が、合う。法師さま、ずっとあたしを見ていたの…?
「あたし、ちょっと雲母捜して来る。」
そう言って珊瑚が立ち上がり、餌を探しに行っている雲母のもとへ向かって行った。
「…まあた、かわされちまったか。」
珊瑚の背中を見送り、御影が呟いた。どうやら、一緒になるのを迫ったのは、今回が初めてではないらしい。
「珊瑚は、何故あんなに旅にこだわるんだ?」
独り言のように、御影が言うが、誰も答えはしなかった。
珊瑚は、彼に奈落の件を話していない。これから話すつもりなのか、それとも、話すつもりはないのか。
彼女の本意が判らぬまま、第三者の自分達が事を伝えるのは、やはり躊躇われた。
「法師どの。」
不意に、御影が弥勒を見遣り、声を掛けた。
「はい?」
弥勒が、なんでもないように返事をする。
「法師どのは、珊瑚のことを、どう思われる?」
唐突に、御影が法師へ問うた。真意は、判らぬが。
(こいつ、俺にカマ掛けてやがんのか?)
己が心に感付かれるような、ヘマはしていない筈。なのに?
かごめも、興味津々と言った面持ちで彼の答を待つ。しかし、そう簡単に崩される法師では、ない。
「…心根の優しい、良い娘御だと思いますが。」
表情も変えず、すらりと弥勒は言う。どう反応を返して来るか…?
「そうか。そう思って下されているのなら、安心した。」
存外、こちらもあっさりとした答だった。弥勒の感じたことは、深読みし過ぎだったらしい。
「それは?」
どういう意味か、今度は弥勒が御影へ問う番だった。
「いや、珊瑚は…なんだか、以前と変わってしまっている。まるで、刃物のような…。あれでも、里に居る頃は、よく笑う女だったんだが…。それでも、珊瑚の本当の姿を理解してくれているようなので、安心した。」
御影は、遠い目をして答えた。恐らく、彼の脳裏には今、珊瑚の笑顔が思い浮かべられているのだろう。弥勒達が知らぬ、幸せだった頃の。
その御影の顔を見て、弥勒の心に嫉妬交じりの羨望が湧き上がるのを彼自身禁じ得なかった。
「あれでも、随分ましになった方だぜ。」
犬夜叉が、腕組みしたままで発言する。
「そうなのか。」
溜め息を吐き、御影は自分が掻いた胡座の方へ視線を落とす。
「…里を…家族と仲間を失った悲しみは、容易く消えはしないということでしょう…。」
言葉を選んで、弥勒が言った。
「そうだな…。」
彼の言葉に同意し、御影が頷いた所へ、雲母を抱いた珊瑚が戻って来た。
その顔に、無論、笑みは無く。
「珊瑚。」
御影が呼ぶが、彼女は答えない。何を言えばいいのか、判らなかった。
「珊瑚、琥珀は…里長と琥珀も、やはり死んだのか?」
どくん。
御影の問い掛けに、珊瑚の心の臓が大きく響いた。まるで、胸いっぱいに心臓が肥大したように。ほんの小さな音の筈なのに、耳を劈くような、雷鳴と成って。
「!」
弥勒を始め、これまで旅を共にして来た者達も、御影の言葉に反応する。
(それ以上言うな、御影!)
弥勒の心の叫びは、彼に届く筈もなく。
「おまえ、もしかして一緒だったのではないのか?」
低く、珊瑚が呟く。
「…死んだ。」
一行が、身動ぎもせず、珊瑚を見守る。
「皆、死んだ。あたしだけが生き残った。」
抑揚の無い、珊瑚の声。
「そうか…。辛かった、んだな…。」
御影が、そう言って珊瑚の体を抱き寄せようとした時。
彼女の右腕が、勢いよく御影の腕を振り払った。
「触るな!」
叫ぶ。悲痛な、声で。
「珊瑚?」
驚いて、御影が珊瑚を見る。彼女は、悔しそうな…泣くのを堪えているような表情で、彼を見返す。
「あたしだけ生き残ったんだ!何故、責めない!?おまえは何をしていたんだと、何故言わない!」
一気に、珊瑚の感情が噴出し、御影に叩き付けられる。彼女の気迫に気圧され、御影は呆気に取られていた。雲母が驚いて、主の左腕から飛び降りる。
「あたしに、優しくするな!もう…もう、帰れ、御影。依頼主が待っているだろう…?」
そう言い、俯いてしまった珊瑚に、何を成すべきか、御影には判らなかった。
「…何があった?」
ようやく絞り出した、御影の言葉。
「何があったんだ?珊瑚。おまえ、俺に何を隠している!!」
今度は、御影の方が珊瑚へ大声を上げた。彼女の両腕を掴んで、問い質す。
「…何も隠してなんか、ない。…あの時のことを、思い出したくないだけだ。」
冷静さを取り戻した珊瑚が答える。この時、犬夜叉達一行は、珊瑚は御影へ奈落の件を話す気は無い、と理解した。
「御影どの。」
珊瑚の痛む姿を見ていられなくなり、弥勒が間に入った。これ以上の問答は、無用に願いたい、と。
御影が、声を荒げたことを後悔する。法師が言うのは当然だ。一緒だったということは、彼等が死んでいく様を、見ていたということ。それに他ならない。自分は、彼女の塞ぎかかった傷を無理やり引き剥がしてしまったのだ。
「すまん、珊瑚…。」
御影が、珊瑚の両腕を離して謝罪の言の葉を述べる。
そして、自分が今夜世話になる予定の依頼主の所へ、一行の同伴を提案した。
それを、珊瑚は断った。それは、退治屋として依頼主との契約を違えることになる、と。そう言われ、御影は一人帰路へ着く。このまま珊瑚の傍から離れることは躊躇われたが、依頼主への報告を怠る訳にはいかなかった。
また、明日の朝に此処へ来るからその時に返事を聞かせて欲しい、と言い残して。