SINCE…2001.06.24


















©2001 minato




(水隠りて思ひしも)






目的の第一段階は、これで達せられた。後は、珊瑚ちゃんが一緒に餅つきしてくれたら全て解決ー、などとぶつぶつ言いながら、くろすけはざくざくと山中を歩み行く。
「うーん、でも目を覚ましたらまた厄介な事になりそうですねぇ。珊瑚ちゃんたら結構お転婆ー。」
「では、目を覚ます前に置いて行ったらどうだ。」
突然割って入ったその低い声音に、ぴた、とくろすけは足を止めた。先程まで、静寂の他には鳥の囀り、そして己の葉を踏みしだく音だけが支配していたこの空間で、涼やかで異質なものの音を聞く。
しゃりん、と小さくも良く通るその音色は、錫杖に掛けられた環の声。
くろすけが、ゆっくりと声の主の方へと振り向くと、其処には緇衣を纏った青年僧が立っていた。
「追い剥ぎですか、お坊さま。」
「…おまえこそ山賊にしては趣味が良いな。」
「この娘さんをご所望ですか?いやいや、お坊さまが盗みとはいけません。」
「…盗っ人は」
くろすけのふざけた物言いにも表情も崩さず返していた僧侶の片眉が、ぴくり、と跳ねる。
「てめぇだろーがッ!」
右手に持たれていた錫杖が彼の手を離れ空で軌道を描くと、目指すくろすけの足元へ、どがり、と深く深く突き刺さった。
「うわわっと。」
くろすけは、珊瑚を担いだままで後方へと跳び退る。すると、すたん、と着地したその拍子に、珊瑚の逆さになった頭部が彼の背の上で軽く弾んだ。
(ん…あれ…)
浅い揺れに、珊瑚の意識が戻りかける。
「ちょっとお坊さま、乱暴過ぎやしませんか。」
「ほう、おなごをかどわかすのは乱暴ではないとでも?」
その声に、はっ、と珊瑚は目を見開いた。上下が逆転している視界を認め、二つ折りになった自分がくろすけの肩に乗せられているのだと悟る。
(法師さま、居るの!?)
姿は見えねども、この声は、間違いなく彼の法師のもの。
珊瑚の胸裏では安堵する思いと、最悪、と嘆く思いが綯い交ぜになる。
こんな情けない姿を晒すのは勿論、それに至った理由を勘繰られるのも、絶対に、嫌。
けれどまずはこの状況から脱する事が最優先。だらりと垂れていた無力な両腕に力を込めると、きつく、その指を組んだ。それを、思い切りくろすけの背中へと打ち付ける。
「ぁだっ!」
彼の背中を押し遣る形になった珊瑚は、その反動でくろすけの肩から投げ出され、肩口から地面へと落下した。
「ちょ、珊瑚ちゃ」
「珊瑚!」
四つん這いに倒れ伏したくろすけが、背中をさすりながら後ろを恨みがましく振り返ったその脇を、追い剥ぎの筈の坊主が駆け抜けて行く。
「いったぁ…」
「私が動くまで、待っておれんのか、おまえは。」
肩先と背を強か打ち、眉根を寄せている珊瑚を素早く抱え起こした弥勒は、苦言を呈しながらも娘の着物に付いた土埃をぱんぱんと払ってやる。
「そ、それよりなんで法師さまが此処に居るのさ…?」
弥勒の腕に促されながら、珊瑚はゆっくりと立ち上がり、問うた。
「離れへ戻ってみれば、おまえの姿が内にも外にもない。その上一掴みの薬草が放置されたまま、しかもその残りも殆どないと来た。ならばおまえが薬草を採りに山へ入ったと考えるのが妥当であろう。」
落ち着いた声音で説明されたそれは、正に図星であった。
「でも、」
なんでわざわざ自分を追って ――― ?
「お知り合いだったんですかー?」
珊瑚の言葉が全て言い終わらぬうち、第三者の声が介入する。
立ち上がった、見掛け山賊の若者は、しげしげと二人の様子を見詰めていたが、思い至ったように言う。
「あのぅ、もしかして、珊瑚ちゃんてお坊さまのモノでした?だからわたくしが盗っ人?」
「ほー、なかなかの観察眼だな。」
「誰が誰のモノだってぇーっ!?」
聞き捨てならぬ二人の会話へ、頬を真っ赤に染めた珊瑚が割り込んだけれど、その大声に痛い思いをしたのは珊瑚自身であった。
ずきずきと短い間隔で刻まれる血脈の音が、身体の外へも響いているのではないかと思われる程で。頬が赤い理由の半分以上は、熱に因るところが大きかった。
「うーん、そうでしたか。では、相談ですお坊さま。珊瑚ちゃんを貸して下さいお坊さま。」
「…坊主ではない、法師だ、私は。」
憮然とした面持ちでくろすけを見返した弥勒は、本題とは違った場所へ注文を付けるが、それには相手も素直に反応をみせ、機械のように言い直す。
「珊瑚ちゃんを貸して下さい法師さま。」
「貸さん。」
即答。
「では珊瑚、帰りますよ。」
地に刺さったままであった錫杖を引き抜きつつ、若者へは一瞥もくれずにあっさりと言う、弥勒。
「ちょっと待って下さいよー!」
くろすけは、背を向け去ろうとする二人へ、先刻珊瑚へもしたように哀れな声で待ったを掛けた。
「法師さま、理由くらい訊いてやって下さいよぉ~。」
「訊いたところで結果は同じだ。無駄な事はしてられん。」
ぴしゃり、と取り付く島も与えぬ拒絶。
「…珊瑚ちゃん、この人って本当に法師ですか?無慈悲って言いません?こういうの。」
「…実のところあたしもあんまり自信ないかも。」
その言い様もだが、弥勒にとっては、こそこそっ、とくろすけと珊瑚が耳打ちし合うのもまた、面白くない。
「…なんとでも言え。行くぞ、珊瑚。」
「待って下さいっ。話だけでも聞いて下さいぃぃぃぃ。」
その目は元から紅いのか、泣いたから紅くなったのかわからぬ風情で、大粒の涙をぼろぼろと零したくろすけが、弥勒の緇衣の袂をがしりと掴んだ。
「……。」
あまりにも酷い顔で泣くものだから、さしもの弥勒も一歩退いてしまう。この勢いだと、話を聞いてやるか殴り倒すかしなければ、解放してはくれなさそうである。
眉間に皺を刻んだ渋面のまま、弥勒は一つ嘆息した。
「…で。"何故珊瑚を借りたい?"」
仕方なしに、抑揚のない声で尋ねてやる。
途端、ぱぁ、と明るい顔へと取って代わったくろすけは、こいつ嘘泣きしてやがったな、などと弥勒が見抜いてる事は知ってか知らずか。兎に角流暢に語り出す。
「えと、わたくし兎妖のくろすけと申しまして。本日一族で執り行う餅つき合戦へ参加する予定なのですが、組んだ相手のゆきちゃんが急遽病欠となりまして、珊瑚ちゃんに是非その代役を務めて頂きたい訳なのです!」
一息に其処まで述べると、しん、と沈黙が横たわる。
「…以上か?」
「以上です。」
弥勒の短い問いに、くろすけも最小限の答を返すと。
「帰るぞ、珊瑚。」
「あああああ法師さまーっ!」
先程からこの二人の遣り取りを傍観していた珊瑚には、何やら段々とくろすけが哀れに思えて来ているのだから不思議である。
しかし、くろすけに手を貸してやれる余裕が、今の己にはない。餅つきどころか、薬草を採取し麓の村まで戻れるかどうかも怪しいほど、身体がぐらぐらしているというのが事実であった。
「他を探せ。」
またしても弥勒の冷たい言葉を浴びせられたくろすけであるが、駄々っ子のように口の方は止まらない。
「だってですねぇ!ゆきちゃんの代わりなんてそうそう見つけられないですよ!ゆきちゃんはそりゃあもう、雪の様に真っ白な毛並みが綺麗で可憐で、人型になった時も美しい事この上ないんですから!」
何やら自慢話且つのろけ話を聞かされているような気がしなくもなかったが、珊瑚は其処で、はた、と引っ掛かった。
病欠のゆきちゃんは、毛並みの美しい白兎…?
「あの、さ。くろすけ。」
「はい?」
「ゆきちゃん、急病って…どうしたの?」
恐る恐る、珊瑚は問う。
「本日、ちょっと村まで食べ物を拝借しに行ったらしいんですよ。其処で人間さまに見つかって、とんでもない煙か何かで追い払われたみたいで、ふらふらになって帰って来たんです。わたくし達、そんな非道い悪さなんてしないのに…嗚呼、ゆきちゃん、可哀想に…!」
――― やっぱり。
「ゆきちゃんさえそんな目に遭っていなければ、珊瑚ちゃんにご迷惑をお掛けする事もなかったのですがねー …。」
予想通りのくろすけの答に、珊瑚は目の前が暗くなるような錯覚に…否、実際視界は(すこぶ)る悪さであったから、ぼやぁ、として来たのは錯覚ではないだろう。
「…珊瑚?どうした。」
何やら様子のおかしい珊瑚に、弥勒が小声で囁くと。
「法師さま…、あたし、やっぱりちょっとくろすけの手伝いして来るよ…。」
「ええっ!?」
「はぁ?」
先程までとはまるで逆の事を言い出した珊瑚に続けて、くろすけと弥勒が同時に声を上げた。
「ほんとですかー珊瑚ちゃぁん!」
踊り出しそうな勢いのくろすけを無視し、珊瑚の腕を弥勒が、ぐい、と引き寄せる。
「珊瑚、おまえ何を」
言い出すんだ、と彼が紡ぐより先に、珊瑚は小さく理由を明かしてみせた。
「だって、あたしが今日退治したのって、ゆきちゃんみたい…。」
「な。」
バツが悪そうに言う珊瑚の顔を、些か驚いたように見下ろす、弥勒。
浮かれているくろすけから隠れるように、珊瑚と共に奴へ背を向け、二人はぼそぼそと話し出す。
「だからって、おまえ」
「だって、元はと言えばあたしのせいみたいだし。」
「元は畑を荒らした事が原因だろう。」
「…でも、あたしにも責任があるよ。くろすけが困ってるのは。」
全く。
開いた口が塞がらない、とはこの事か。
困り果てた人間から依頼があって、退治した。それだけの事。なれどこの娘は、それに責があるのだと、そう言うのだ。
だから兎妖の無理な願いも、叶えてやろうと。
「なんだか、くろすけも可哀想だし…さ。餅つきくらいなら…」
なんとか、なるかな…。
少々の不安を抱いた己の言葉は飲み込んだ。
「…具合が悪いから欠席する、という白兎を、見習って欲しいものだな。」
「え?何?」
低く呟いた弥勒の言葉を断片的に聞き逃した珊瑚は、彼へ問い掛けてみるが、
「…いや。」
それだけが、返事として返された。
「お話はお済みですかー?」
其処で、くろすけから催促の声が入る。それを背中で聞いた弥勒のこめかみに青筋が浮き立ったのは、誰も知らぬ事。
「うん。今行く。 ――― じゃ、法師さま、ちょっと行って来るね。」
ひょこ、と弥勒の向こうから顔を出した珊瑚は、くろすけへ合図した後、法師へ一言告げた。
だるさと頭痛を押し隠し、珊瑚は平然とした態度で弥勒の右脇を摺り抜けて行く。
――― ところであったのだが。
丁度法師の隣を通り過ぎようとした珊瑚の腹部へ、彼の右手が通せん坊をするように掲げられた。
え、と彼女が思った時には、封印の数珠を巻いたその腕が己の身体へ絡み付いており、ぐ、と力任せに彼の方へと引き戻されていた。
珊瑚の背中は弥勒の胸へ抱き留められ、彼はそのままくるり、とくろすけの方へ向き直る。
「ちょちょ、ちょっと、法師さま!?」
背後から抱き抱えられているこの態勢に面食らった珊瑚が、首を後方へ廻らそうとすると、弥勒の左手に額をぺちん、と軽く(はた)かれた。
「すまんが、うさ公。」
「くろすけです。」
「うさ公、珊瑚の事は諦めて貰いたい。生憎この娘は、熱を出しておる病人なのだ。」
え…?
抵抗するのも忘れ、珊瑚はその弥勒の科白を聞いていた。
額には、彼の左手が乗せられたまま。それを払いもせずに、力ない声で、呟く。
「…知ってた、の?」
「知らないと思ったのか。」
其処で、今一度弥勒の掌が珊瑚の形の良い額の上で軽く弾んだ。
今度はその彼の手を引き剥がし。
「なんで…?」
今度こそ、背後の彼へ首をぐいらと廻らし、何故悟られたのかを当の本人へと問い質す。
「あのように蝿の止まりそうな平手をお見舞いされれば、誰だってわかる。」
昨日、あっさりと避けられた平手打ち。
本気で避ける気がなければ、簡単に殴られるのが、常。けれど、昨日の珊瑚のそれは、あまりにも精彩を欠いていた。大人しく殴られるつもりの意に反し、かわす事になってしまった弥勒の方が驚くほどに。
(七宝や楓さまには、気取られてなかったのに…。)
その程度の事で、気付かれてしまうとは。
己の腕の中で、まだまだ修行が足りないな、と少々落胆している様子の珊瑚を見下ろしつつ、
(…惚れた女の異変に気付かねぇ男が居るかよ。)
という真実の理由を、弥勒は心中で答え遣る。
「そうですかー。珊瑚ちゃん、お熱があったんですか?」
眉をハの字に下げたくろすけが、残念そうに首を傾げて珊瑚へ尋ねた。
「え。…あ、う、うん…。」
心底悲しそうな顔を見せるくろすけに、なんだか申し訳ない気分になって、珊瑚は曖昧に返事をした。
「それじゃー仕方がないですね。女の子はそういう時に無理しちゃ駄目です。」
弥勒が思っていた以上にあっさりと退き下がる、くろすけ。なかなか話がわかるじゃないか、とは思ってみても、それが自分と同類項なのだとは、気付く筈もない。
「わたくしは、法師さまの仰る通り他を探してみます…。珊瑚ちゃん、乱暴してごめんなさい。」
しょぼん、という音が聞こえそうな程肩を落としたくろすけが、弥勒と珊瑚の方へ背を向けようとした、其処へ。
「ちょ、ちょっと待って、くろすけっ。」
腹部へ回されていた弥勒の腕を解き、珊瑚が一歩前へ出た。
「あたしなら平気だから、手伝ってあげるって…」
「立っているのがやっとのくせに、何を言っている。」
珊瑚の科白を遮り、弥勒の静かながらも厳しい色を含んだ声が届く。
「だって、放っておけないだろ?そもそもあたしが」
白兎を病の床へ追い遣ったのは自分だと告白する、正にその瞬間。珊瑚の身体がふわり、と宙へ浮いた。
ぐるん、と逆転する珊瑚の視界。
今度は弥勒が荷を運ぶ仕草宜しく、珊瑚の身体を己が肩へと担ぎ上げていた。
「な…っ」
「では、うさ公。健闘を祈る。」
珊瑚を担いだのとは反対側の肩越しに兎妖の方を振り返り、弥勒がにこりともせずに言い放つ。
「ちょっと待てこの馬鹿法師っ、下ろしてよっ!」
と、大声を上げた瞬間、がんがんと駆け巡る頭痛に閉口してしまう、珊瑚。
「みなさい。少しは大人しくしていたらどうだ。」
「うっ、うるさいっ。なんなの人を荷物みたいに…っ」
「では抱いて行った方が良いか。」
「じょっ、冗談じゃないっ!」
喧喧囂囂と果てしない言い合いをしながら、弥勒と珊瑚は日が傾き始めた空の下、来る時は一人だった山道を、強引ではあるものの二人揃って戻り始めた。







「だって、あたしのせいだとも知らないであんなに頼って来てくれてるんだよ。それを無視するなんて…。」
己を担ぎ上げている弥勒の背を、ぽかりと弱々しく叩きつつ、珊瑚はまだ文句を連ねていた。
「だからおまえは、何事にも責任を感じ過ぎだと言うておろう。」
左手に持った錫杖を地へ突く度、その意見に頷くよう、環が呼応する。
「…そんなんじゃないよ、別に。」
珊瑚の小声が、弥勒の濃紫の背中に掛かった。
「……。」
珊瑚が、自分の力を求められる事で己の存在意義を其処に見出そうとしている事を、知っていた。
始まりが、いけなかったのかもしれない。
こちらにはそのような意識が無かったにしろ、敵として対峙した事から始まった一行の関係。後ろめたさを抱えたまま、珊瑚は己の居場所を探していた。
本当に、共に居ても許されるのか、と。
故に、媚を売るとかそういう次元の問題ではなく、彼女が皆の思いに精一杯応えようとしている姿を、ずっと見て来た。
だからこそ、此度の事とて、最初は見て見ぬ振りをしてやったのだ。
珊瑚の、気の済むようにさせてやろう、と。
なれど、この兎妖の件はまた話が違う。彼女が病を押してまで通そうとする無理を、見過ごす訳にはいかなかった。
珊瑚という娘は、生来、頼りにされたり、使命を与えらたりする事によって、火が点いてしまう性格なのだろう。それは人間としての美徳とも言えるけれど、自身を削る諸刃の剣とも成り得るもので。
それ故、此処が限界。これ以上の無理はさせられぬ。
「…法師さま。逆さになってると、頭辛いんだけど。」
弥勒の厳然たる決意も表情も無論知らぬままの珊瑚が、ぽつりと、言った。
「…下ろした途端、うさ公のところへ走り出す気ではあるまいな。」
そのような、気の廻し過ぎかと思われる法師の科白に返るのは、沈黙。
はぁ~、と長嘆息を示した後、弥勒は、二つ折りに担ぎっ放しだった珊瑚の身体を、その背へ手を添えてやりながら、すとん、と下ろしてやった。
「…珊瑚。」
幾らか眉宇を顰めた弥勒が、普段のきりりとしたそれとは明らかに違う表情や顔色を晒す珊瑚へ、視線を向ける。
「…頼むから。」
ゆっくりと、吐き出される言の葉。
「頼むから、体調の思わしくない時くらい、休んでいては貰えまいか。」
見開けば重みを感じる瞼を、それでも一杯に開け、珊瑚は弥勒の双眼を見詰め返した。
「おまえにとって、私の願いは他の者のそれより軽いものなのか…?」
極々少量の寂寥感を深奥に含ませた弥勒の瞳が、珊瑚へ彼の想いの全てを伝え遣る。
そして、珊瑚はそれを理解した。
自分の不調を悟っていた筈の法師が、此処まで好きにさせてくれていた気使いと、どれほど心配していてくれたのかという事を。
期待に応えようと許容を逸脱した行動は、頑張りと讃えられるか、それとも周囲の者の懸念を巻き込んだ無茶となるか、紙一重。
今回己の取った行動は、どちらに属するものなのかを判断する余力は、まだ、ある。
隠そう隠そうとしていた珊瑚の意固地さを慮り、ぎりぎりまで己の本音を水隠っていたのは弥勒とて同様で。
「…わかったよ。法師さまの頼みも、ちゃんと、聞いてあげる…。」
「それは有り難い。」
些か決まり悪げに見上げて来る珊瑚の面を、今度は柔和な色合いを湛えた弥勒の目が受け止めた。
「…ごめん。」
何に対しての謝罪なのかは告げぬまま。
それだけを、なんとなく。けれどどうしても、言っておきたかった。
そのたった一言に込められた珊瑚の真意を、法師は酌んだのかどうか。
珊瑚にはそれを確かめる術はなかったけれど、何時もと変わらぬ弥勒の優しい微笑が、彼女へと返されていた。







「なんだかあの二人、わたくしの事を無視して行ってしまいましたねー。」
ぽつん、と一人寂しく残されたその場所で、ぽりぽりと頭を掻きつつ、くろすけは呟く。
「いいなぁ…。」
指を咥えはしなかったが、法師と娘が仲睦まじく喧嘩しながら消えて行った方向を、羨望の眼差しで以て、未だ見詰めていた。
体調の悪さを隠し、兎妖の為に無理をしようとしていた珊瑚。
それを知って強引に連れ帰った法師。
自分は、「くろすけさんは、私の分も餅つき頑張って来て下さいませ。」というゆきちゃんの健気な言葉を真に受け、「よぉーし一等賞を取って来ましょう!」などと思っていたりしたのだが。
(なぁーんか、寂しくなって来ちゃいましたねー …。)
もしかして、ゆきちゃんをもっと心配してあげるべきだったのではなかろうか。
「……。」
暫し無言で思案した末。
「やめたっ。」
ぽんっ、と宙返りをしたくろすけの姿が、人型から瞬く間に一羽の兎へと変化する。
餅つきなんぞをしている場合では、ない。
ゆきちゃんの傍について、看病に勤しもう。
「ゆきちゃん、今行くよーっ。」
脱兎の如く、とはよく言ったものである。
力強く後ろ足で地を蹴ると、黒兎は素晴らしい速さで木々の合間を縫い、山の奥深くへと駆け抜けて行った。


白兎は、餅つき合戦を捨てて戻って来た黒兎に、心底驚いた風であった。
本当は傍に居て欲しいと思っていた願いが通じたのかしら?などと、可愛らしい事を思いながら。
無論、本日遭遇した不運も、今傍にやって来た幸せも、全て同じ人間が齎した作用だとは、知る筈もないのだけれど。











100000ゲッター・yukiさんご依頼の「不調を隠し妖に不覚を取った珊瑚と、それに気付いていた心配性弥勒」でございましたが、1ページにするには長過ぎて、でも一気に読んで頂きたくて、前後編の演出はせずにこういった構成を取らせて頂きました。
くろすけは、「根本が法師と一緒で、彼を更にお気楽にした感じ」という性格設定にした為ああなったのですが、軽過ぎましたネ。
そして今回は、回り口説くなく!わかり易くあっさりと!を目指したところ、会話が多くなってしまい、漫画ちっくこの上ないです。
それにしても、それぞれの動作が掴み辛い。兎の足技なんて、わかり難いの極地。でもこれ以上書きようがなくて…yukiさん、大変長らくお待たせしておきながら、何を言いたいのかわからぬお話になってしまい、本当に申し訳ございません(しかもお名前お借りしてます)。どうか寛大なお心でお納め下さいませ。
では、最後までお読み下さいまして有り難うございました。

2002..06.02