「堕天」おまけ
法師は何故、風穴を使わなかったのか
このようなところまでお出で下さいまして、有り難うございます。
さて、いきなり本題です。
何故あの状態で弥勒法師は風穴を使わなかったのか?なのですが。
そう、何時も事ある毎に風穴びゅんびゅん開けては毒喰らったりしているあの法師が、何故出し惜しみを?と不自然に思われた方もいらっしゃるのではないのかと考えまして、(勝手に)その理由について語らせて頂きますので、お付き合い下さいませ。
初めに申し上げておきますが、これは「考察」ではありません。私(水都)の中の「法師さま美化論」、「天空海闊に於ける弥勒像」です。故に、アナタさまのお考えと180度違っても、責任は負いかねます。漫画に於ける法師さまとも、恐らく大分ズレているでしょう。其処のところ、ご理解下さいませ。
元々風穴ってヤツは、法力ではなく半妖・奈落に穿たれた、代々引き継がれてしまう呪い。はっきり言って、余計なものでしかない、不要なものでしかない、どっちかってーと有ると困るもの。
その呪縛から解き放たれる為に諸国行脚をしているのが弥勒。勿論、それだけの為ではありませんが、奈落探しが理由の一端(しかも結構デカい範囲)を占めているのは明白な事実。
別に呪いで死んでも構わない、などと登場当初はのたもうておりましたが、それが心の底からの言葉ではない事は「風穴の傷」・「幻影殺」で立証済み。
その己の命を脅かす、忌まわしき存在(なんせ僧職にありながら、利き手を妖に陵辱されてるようなモン)である風穴を、弥勒はその物の怪達を成敗する道具として使っていますね。これって、実際どうなんでしょうか。
奈落絡みの相手に対して風穴を開く事には、何の躊躇もないと思うのです。
「おまえが開けた風穴に、おまえの所縁のものが吸い込まれていくんだぞ。どーだ参った。」…と思っているかは知りませんが、これはちょっとしたイヤガラセにはなりますよね、奈落に対して。
勿論、奈落絡みでなくとも、どうしようもなく邪悪な妖に対しても同じ事。例え大ッ嫌いな風穴であろうと、利用出来るモノは全部利用してやれ、みたいなしたたかさを持っている男だと、私は勝手に思うておる次第です。
しかし、それも時と場合によるのではないか、と思ってもみたり。
多勢に無勢な時、先を急ぐ時、戦う気にもならないような阿呆が相手の時、大量なゴミ処理を行わねばならぬ時、そして、自分のプライド(此処で指す「プライド」というのは、「邪悪な力の世話にはならぬ」って感じでしょうか)を捨ててでも守らなければならない者が居る時。その時は、迷わず風穴を開くでしょう。が。
風穴が一発逆転的な最終切り札であることは認めていても、それを使う事に対しては、結構な葛藤があって然るべきだと思うのです。上記のようなプライドを抱える弥勒が、「法師」である以上。
前出のような場合、というか、犬一行の中で戦う時は、弥勒の場合「法師」という立場とはちょっとずれているように感じます。どちらかと言うと、「個人」に近い(勿論、仏道忘れて戦っている、とかそういう意味ではありません)。そういう時にはばんばん風穴開いてしまう訳ですが、恐らく、「誰か」の為なら「己」を捨てられる、という自己犠牲的気概は、法師、としてのこれまでの修行で得た悟りというより、結構弥勒個人の性格から来ているのではないか、と誇大妄想(笑)廻らしつつ。
それでも、「法師」として戦う時(妖怪退治を請け負った時とかの事ですね)、そういった場合には、進んで風穴使ったりはしないのではないだろうか、と私は思いました。
「法師」としてのプライド。風穴とは全く無関係に修行して会得した「自力で掴み取った法力」。その「自力」で勝負するのではなかろうか、と。
飄々として渡世術に長けた弥勒ではありますが、そういう「意地」の部分では、犬夜叉に負けないものがある筈です。勿論、それをあからさまに見せたりしないのが弥勒の弥勒たる所以でもあって。
「こういう相手にこそ私の風穴が役立つというのに。」と、22巻で言ってましたね。正に、アレ。
「こういう相手」にしか使わない。「風穴じゃなきゃ駄目」という時以外には、封印しておく。そして、その「こういう相手」が現れたら最後(?)、最猛勝の猛毒吸っちまおうが何しようが、がんがん開く。最猛勝が居る時でも、開く時と開かない時がある、この差。これは正しくT.P.O.を選んでいる結果で。
やっぱ、使いたくないでしょう、本音は。他力ですし、ちょっと鋭利なものなんか吸ったら切れるし(笑)。
いや、風穴開いてる姿は紛れもなく格好良くて好きなのですが、痛々しいというか何というか。自虐的なのです、何処か。
弥勒本人はそういう意識はないのでしょうが、見てるこっちは切ないのです。あんな不良でありながら実はとっても信心深い(と思われる)法師が、魔物の力を使わねばならぬ状況というのが。
「堕天」に於いての弥勒は、「個人」ではなく、「法師」として立ち回っています。しかも、相対する力が、色の違う同じ力を駆使する奴で。却って、こういう状況であっさり風穴を開いてしまっては、弥勒というキャラクターそのものが立ち行かなくなる、というか、稀薄になってしまうような気がしたのです。
前述のような法師像を抱えている私としても、この流れで法力で以って戦わないのは、至極不自然だと考えました。故に、風穴は最後まで開かなかった、という訳で。
余談、というか、仮定法過去になってしまうのですが、もしもあそこで珊瑚嬢が失敗していたら、恐らく、封印の数珠を何の迷いも無く解いていたとは思います。
誤解なきように願いたいのは、弥勒が完全分離制で「個人」と「法師」を使い分けていて、風穴も
100%それに準じて駆使している、と言っている訳ではない、という事です。そうそう都合の良い状
況ばかりでないのは百も承知しておりますので。
今回は「法師」として法力にこだわった訳ですが、実際、「個人」の意地で風穴を開かない、という場面も絶対あると思いますし(そういう話もUPするつもり。冬までには 笑)。矛盾しているとは私も思っています。
…え~と、意味がわかりますでしょうか?己の頭の中を文章にする、という事が、こんなにも難しいというのを忘れておりました。最後にレポートなんて書いたの何時だったか…(←●年前)わたくし、読み返してみてもよくわかりません。
言いたかった事を伝えられたかどうかは謎です。が、せめて「堕天」という小空間の中でだけでも、封印を解かなかった意味をご理解して頂けたら幸いです。
珊瑚嬢が飛来骨使わなかった理由?それは、ただ単にあそこは刀だろう、と思っただけです(笑)。飛来骨では珊瑚と法師の距離が開いてしまうので、連携プレーとしてそれはちょっと頂けなかったというか、私の好みで突っ走りました。飛来骨ファンの方すみません。…(恐る恐る)っつーか、珊瑚嬢、飛来骨何処に置いて来たの。
注:某番組で語った「風穴は授けられし武器」説は、スミマセンが聞かなかった事に致しました。アレ聞くよりコレ書き出した方が先だったし。これについて語ると永遠に終わらなくなりますので、これにて失礼致します。
最後までお読み下さいまして、有り難うございました。
2001.09.10