SINCE…2001.06.24


















©2001 minato



あなたなら かまわない







闇が、迫る。
何故(なにゆえ)、自分はこのような宿命を背負わされたのか。
答えは、容易。奈落という、妖の仕業。
しかし、それが何故自分でなければならない?
明日が来ることさえも約束されぬ、この我が身。
風が、己が体を浸食するのは、そう遠くはない未来。
御仏の教えを説き、護法を駆使しようと、払い得ない、恐怖。
したり顔で他人を導きながら、己が何処(いずこ)かへ消えゆくことに、怯えている。
風が、迫る。
己が右手から、全てを、飲み込む為に。







「!」
何かが額に触れて、目が醒めた。
また、あの夢か…。そう思い、夢と現の間を彷徨う、瞳。
「法師さま?」
頭の上から降り注げられる、声。
「珊瑚か…。」
半身を起こす。背中にべっとりと汗を掻いていた。
「ごめん、起こしちゃったね。」
「いや…。」
助かった、という言葉は呑み込んだ。
「なんか、難しい顔して寝てたからさ。熱でもあんのかと思って。」
そう言い、人差し指を自分の眉間に当て、皺を寄せて見せる。弥勒の表情の真似をしているらしい。故に、彼の額へ手を伸ばしてみた、という訳だ。
「いえ、なんでもありませんよ。」
作り笑顔。それを携えて珊瑚へ答える。
「…やな夢でも見てた?」
珊瑚が、問う。
「いえ、だから、何も。」
「あっそ。」
ぷい、と向こうへ背けられる、整った横顔。
「何もなくて、あんな顔して寝てるんだ、法師さまって。へー。疲れるね、そりゃ。」
憮然…というには少々可愛らしい気もするが、呆れたように言い放つ。
戦いの無い、平和な日。それぞれが、思うままに行動していて。
弥勒は、欅の下で眠ってしまっていたらしい。陽はまだ高かったが、よほど疲弊していたのだろう。そんな法師の姿を見つけ、珊瑚が顔を覗いて見ると、辛そうな顔が其処に在った。なのに、しらばっくれるのだ、この男は。現場を押さえられても猶、弱みを見せようとはしない。
膨れっ面の娘を認め、法師が観念したように言った。
「実は、珊瑚の言う通り、嫌な夢を見ていました。」
「…どんな?」
心配そうな面持ちで、珊瑚が、その声の主の方へ向き直る。
「それが…赤子を抱えたおなご達が、大勢追って来るのです。『あなたの子です』と。」
「は?」
一瞬、娘の形の良い唇が、ぱか、と開いた。
「其処から一目散に走って逃げていたのですが、いやあ、恐ろしかった。」
「…そりゃあ、怖いね。」
ぎろり、と弥勒を睨む珊瑚。自業自得だろ、と付け加えながら。
「ばっかばかしい。本当のことなんて、言ってもくれない。」
弥勒の隣で膝を抱えたまま、珊瑚が吐き捨てる。
戯言ばかり。どうせ、頼りにも何もされてはいないのだろう。あたしは、この、法師に。
「本当も嘘もない。」
微笑のまま、弥勒が言う。すると、彼女が怒ったように立ち上がった。
「もういい!帰る!心配したあたしが馬鹿」
其処まで言ったところで、弥勒の腕に手を掴まれ、言葉が途切れる。
「もう少し、良いではありませんか。折角の天気だ。」
珊瑚が己が手の先を見下ろすと、彼がこちらを向いて微笑んでいた。
折角の、天気。
確かに、春の訪れを告げる麗らかな日差しと、小鳥達の囀り。何処までも広がる、薄い青。その空気が、今この時、全ての世が幸せに包まれているのではないか、という錯覚さえ起こさせる。
「……。」
無言で弥勒の腕を払い退け、再び腰を下ろした。その珊瑚の足元には、頭の上を飛び回る羽虫と戯れる雲母が居る。
何故、彼女を引き留めたのだろう、自分は。このまま話を続ければ、問い質されるのは目に見えている。
それなのに。
傍に、居て欲しいのか?
我ながら、弱気になっているな、と弥勒が思ったところで、
「法師さまって、何も言わないんだね。」
これまでとはがらりと口調を変え、ぽつり、と珊瑚が言った。
「は?」
弥勒が呆けた声を上げた。
何も、とは、何を…?
「強いから、かまわないの?」
「……。」
「夢心さまのところへ行った時だって、そうだ。何も、言わなかった。」
「珊瑚。」
「誰にも何も言わなくても、一人で全部解決出来るから?法師さまみたいに強ければ、何があっても人に本当のこと、言わなくても平気なの?」
「……。」
「…助けは、要らないの?」
ゆっくりと、しかし、畳み掛けるような、珊瑚の言葉。
強いから、と。
俺は強い、と何の澱みも無く言うんだな。おまえは…。
「私は、強いですか。」
「…前にも言ったね。そんなこと。」
「自分では…良く判らぬ…。」
思わず、本音が吐いて出た。弱き心を抱える、 "強く見える"己が本心。
「強いよ。だって、あたしだったら、狂ってるかもしれない。」
珊瑚の答えは、明朗簡潔だった。
「何時も、笑ってる。どうしてそんな風にしていられるのか、不思議なんだ。」
「…それは、()うに狂っているからかもしれませんよ。」
こちらがぎくり、とするような、自嘲的な弥勒の言い方に珊瑚は少し考え込む。
と、唐突に、彼の右腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。その行動に驚かされたのは、弥勒の方。忌まわしき腕に触れたのは、陽だまりと同じ、柔らかく温かい体温。
「この腕、怖い?」
珊瑚が、弥勒の右腕と彼の顔を交互に見遣って、問うた。
「…怖くはありませんよ。むしろ…憎い、か。」
出来るだけ言葉を選び、弥勒が答える。怖い、と認めることは出来ずに。
彼女が思う "強い姿"を、壊したくはなかった。その為なら、演技もするし、嘘だって吐く。
ふー、と溜め息を吐いた珊瑚が、弥勒の掌を持ち彼の指を広げる。其処に在るのは封印された、風が、生まれる処。
「…怖くないわけ、ないじゃない。」
珊瑚が、短く言った。その言葉に、弥勒がびくり、と内心反応する。
「珊瑚?」
「ねえ、怖がるってことは、弱いってことなの?」
また、珊瑚が弥勒へ問い掛ける。
「……。」
「法師さまって、怖い気持ちを認めることを、怖がってるでしょ。」
核心に、ぐさりと切り込んで来る珊瑚。思わず、弥勒は彼女の顔を凝視する。
珊瑚も、彼の視線を受け止めていた。
「…珊瑚は、まるで私が弱い方が良いようなことを言うのですね。」
「そうじゃないよ。」
弥勒の右手を、元あった場所へ押し戻しつつ、珊瑚が続ける。
ゆっくりと、離れて行く体温。名残惜しげに、消えて行く温かさ。
「怖いとか、弱いとか、あたしだって良く判らない。けど…あたしが、法師さまを強いって思うのは、…法師さまが、弱い心を包み込んでくれるからなのかもしれない。」
何時も、何時も。
叱咤する訳でもなく、それでいて、同情する訳でもなく。されど、知らぬ間に鎮められている、あたしの、魂。真綿で(くる)むように、ふぅわり、と。
弥勒は、無言で珊瑚の声を聞いていた。
「それって、弱さを知っている人間じゃなきゃ、出来ないよ。」
「…珊瑚。私は」
言い掛けた弥勒の言葉を、珊瑚が遮る。
「ほら、そんな顔もするくせに。」
自分の、顔?今、どんな顔をしているというのか。
「怖くても、弱くても、人に優しく出来るのは、強いってことだろ?」
…間抜けな顔をしているに違いない。今の、俺の顔は。
「だから、法師さまは、強いんだ。」
断言するように珊瑚は言って、ごろりと其処へ仰向けに寝転び、自分の顔の脇へ寄って来た雲母を抱き上げる。高い高いをするように。
「…不思議だと言いながら、答を知っているのは珊瑚の方ではないですか。」
雲母とじゃれる珊瑚を、眩しいものを見るような目で見下ろしたまま、弥勒が言う。
「あれ?そうかな。」
珊瑚が苦笑いを浮かべ、雲母の真白な体躯に頬摺りする。
「だって、誰にも弱みを見せようとしないから…凄いなあ、って思うんだ。」
凄い ――― それは、羨ましい、という言葉は辛うじて押さえ込んだ、珊瑚の正直な思い。けれど、じれったくも思う。何も明かしてはくれぬことと、明かして貰えるほどの器量を未だ持ち得ない、幼い自分自身とが。
「…私がもしも臆病な人間だとしたら、やはりおまえは軽蔑するのでしょうな。」
そんな弥勒の呟きに、がば、と急に起き上がる珊瑚。放り出された雲母が、ふわん、と上手に地面へと着地してみせた。
「もう!あたしの話、ちゃんと聞いてた!?全然判ってないじゃない!」
怒ったように言う珊瑚の剣幕に、弥勒が気圧される。
「怖いことは、怖いって言いなよ!軽蔑なんかしないし、それで法師さまが弱いだなんても思わない!」
一気に、まくし立てる。
「あたし、法師さまみたいに強く成りたい、って思うのに…。」
「…珊瑚?」
急にうな垂れてしまった珊瑚の顔を、覗き込んだ。その弥勒の目とは合わせずに、彼女は続ける。一瞬の、間の後に。
「あたし、知ってる。法師さま、時々眠れずにいるだろ?それは、決まって風が強い日か…風穴を開いた日なんだ…。」
「!」
気付いていたのか。この娘は。俺が、風に怯えているのを。
「それでも何でもないみたいな顔をして、人の心配ばっかりしてる。そんな人を、なんであたしが軽蔑するのさ…?」
俯いてしまった珊瑚を見て、自分が虐めてしまったような罪悪感に捕らわれる。故に、勝手に口が開いていた。
「珊瑚。…私は…風穴に吸い込まれていく己の姿が見えることがある。」
言ってしまって、良いのだろうか。
この娘の、信用を失うことにならぬだろうか?
抱える陰の感情が、彼女さえも捕えてしまいはせぬだろうか?
己を律することが、出来なくなってはしまわぬだろうか…?
ほら、また。
俺は、怖がっている…。
珊瑚の、光を宿した双眸が弥勒を真っ直ぐに見つめ、彼の次の言葉を待った。
「情けなくなることがある。こうやって、何の病も持たぬ体が、明日には消えて失くなっているかもしれぬと恐れる、自分の心が…。」
「法師さま…。」
静かに言った彼の言葉に、珊瑚が返事を返せずに。
「がっかりしたか?」
微笑する、弥勒。しかし、それは。今までとは違う、なんだか泣きたいのを堪えているような、幼い笑み。
珊瑚は、弥勒の問いには(かぶり)を振って、答えた。がっかりなんか、するもんか、と。
「やっと、言ってくれた。」
その珊瑚の呟きに、何処か安堵の色が滲んでいるよう見えたのは、弥勒の気のせいか。
「本当は、どっちでも良かったんだ。」
「?」
「法師さまの本音なら、弱くても、強くても。どちらでもいいから、法師さまの本当の声が聞きたかったんだ。」
それは、どういう意味か?
「法師さまなら、どんなんでも、かまわないよ。」
「私が…弱くても?」
大乗的な人間でなくとも、かまわない、と言ってくれるのか?おまえは。
「でも、やっぱり強かった。」
口許に笑みを浮かべ、弥勒の瞳を見返す。
「あたしには、何も出来ないけど…言いたいことは、言った方がいい。」
法師さまが、前にあたしにそう言ったんだよ、忘れたの?と、からかうように。
…敵わないな、女には。
こんな風に、弱みを曝け出してしまった自分を、それでもかまわない、と言う珊瑚。
それでも、俺は強い、と言い張る珊瑚。
それが、真実己の姿かどうか、今の俺には判らないけれど。
「私には、一緒に明日を迎えたい人が居るから、と以前に言ったでしょう。」
…強くいられるのだとしたら、それが、支え。
「その人、さっき見た夢に出て来た女の人の中に、居た?」
「……。」
本気で、言っているらしい。判っていないのは、おまえも一緒だ、とこっそり思って。
「いいや。居ませんでしたな。」
「ふぅん?」
この、鋭い所と鈍い所を併せ持った女を、愛しいと思う。だから、今は未だ死ねないのだ、俺は。
視線が絡み合ったまま、法師が娘の細い指へ手を伸ばそうと思った、矢先。
「珊瑚ー!此処に居たのかあ~!」
「七宝。」
がっくりと、肩を落として地面に手をつく弥勒。
「どうしたのさ?」
「…いえ、何でも。」
そんな弥勒を無視し、七宝が両腕に抱えた二つの篭のうちの一つを、珊瑚に差し出した。
「珊瑚、これをやる!」
「何?」
子狐から渡された篭の中身は、早摘みの野苺だった。甘酸っぱい香りが、珊瑚の鼻先をくすぐる。
「凄い、七宝。こんなに沢山。あたしにくれるのか?」
「当然じゃ!」
胸を張って、言う。天にも届くかと思わせるように、鼻高々と。
どれ、と珊瑚の隣から顔を出した弥勒へ、びし、と指を突きつけた七宝が続ける。
「言っておくが、弥勒の分は、無いぞ。」
「え。」
「これは、珊瑚の分!それではおらは、こっちの分をかごめに渡して来る!」
じゃ、と七宝が背中を見せながら、尻尾を振りつつ日差しが降り注ぐ小道を走り去る。
「あ、ありがと、七宝。」
慌てて珊瑚がその小さな背へ声を掛けると、幼い狐妖は嬉しそうに跳び上がって答えた。
「なんでおなごにだけ…。」
あいつ、人になんだかんだ言う割には、結構素質あんじゃねえのか?と弥勒が一人ごちる。
「おいし。」
そんな法師には気付かずに、珊瑚が野苺を口にして感想を洩らす。時期尚早かとも思われたそれは、存外、甘味を湛えていた。
「あまーい。」
ぱく、と苺を頬張る珊瑚は、たいそう可愛らしく、その唇に弥勒が見惚れてしまっても、誰に責められることでもなくて。
「…美味しそうですな。」
「法師さま、食べる?」
くるり、と澄んだ瞳で弥勒を見上げ、篭を彼の方へ差し出す珊瑚。
「良いのですか?」
「七宝には内緒だよ。」
「無論。」
そう言って伸ばした弥勒の右手は、野苺の詰まった篭…ではなく、珊瑚の顎へ触れている。
「え?」
顎を上へ向けさせられ、其処へ弥勒の顔が近付いて来たところで、ばしん、と乾いた音が飛んだ。
「…食べても良いと言ったではありませんかぁ。」
左頬にくっきりと残された珊瑚の手形を撫でながら、弥勒が抗議の声を上げる。
「苺の話だーーーっ!!」
肩で息をする珊瑚が柳眉を吊り上げて怒鳴った。不思議そうに主を見上げる雲母の赤眼に、悪びれる様子もない男の顔が、映る。
「おや、そうだったのですか?」
「当たり前だあぁぁっ!」
何を考えているのか、さっぱり判らない。この法師は。自分に見せる態度が、ころころと変わる。それに一喜一憂させられ、遊ばれているようだ。
「からかってばっかり…!」
そう言い、今度は本気で帰路に就く。苺なんか、もう分けてやんない、と捨て台詞を残して。
その彼女の背中と、後に続く小獣を見遣りながら、自分も帰ろうと思う、法師。
どんなんでもかまわない、か。
珊瑚の言葉を、思い返して。
(すげえ殺し文句、知ってやがる。)
初めて、親代わりの夢心以外に心の深淵を告げてしまった。話してしまえば、同じ闇に引き摺り込んでしまうやも知れぬ、と思っていたのに。
珊瑚は、受け入れて、共に闇へ堕ちるどころか、光へと導くように。
(…ほんとに、敵わねえよ。おまえには。)
俺も、おまえがどんな思いを抱えていようと、かまわない。
明日、風の彼方に果てゆくとも知れぬ、この身ではあるけれど。
この不変なる想いを、胸に留めおくことが、許されるのならば。
不倶戴天の激情に駆られ、弟の為に再び我等を裏切ろうと…珊瑚なら。
全て、受け入れる。
例え、おまえの全てが闇に侵されようとも、受け入れて、離しはしない。
その為ならば、みっともなくも、足掻くことさえ出来よう。
そして、眠れぬ夜を繰り返し、廻り来る朝陽に震えながら、思い知るのだ。
俺にもまだ、譲れぬものがあるのだ、と。








B.G.M. <あなたならかまわない> B'z


「道無き道」弥勒編です。
めちゃめちゃセリフに悩んだくせに、結局納得した形でのUPが出来ませんでした…すみません。
恐らく、原作では一生誰にも語らないだろうと思われる、法師の本心。珊瑚嬢にならちょっとくらい言ってもいいかな、なんて。逆に、彼女にだけは絶対言わないかな、と思ったりもするのですが(法師は格好つけしいなので)、それは敢えて隅に追いやりました。
強い心を持つ法師に惚れたであろう珊瑚ですが、多分、「強くはない弥勒」をもきっと受け止めるのだろうな、などと勝手に珊瑚菩薩説を打ち立てておる作者であります。
結局、法師の「本当の声」を聞いた珊瑚が、ではどうするか、というところまでは踏み込んでいません。それは追々、ということで。
それでは、最後まで読んで下さって有り難うございました。

2001.07.11